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西武百貨店

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株式会社西武百貨店
The Seibu Department Stores,Ltd.
image:Image:Seibu-ikebukuro 0712.jpg
西武百貨店・池袋本店(東京・池袋)
(2007年12月撮影 )
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 171-8569
東京都豊島区南池袋1-28-1
電話番号 03-3981-0111
設立 1940年
業種 小売業
事業内容 百貨店業
代表者 代表取締役社長 大崎文明
資本金 60億円
売上高 4761億4300万円(2006年2月期)
従業員数 2451人(2006年2月28日現在)
決算期 毎年2月末
主要株主 ミレニアムリテイリング100%
関係する人物 堤清二
外部リンク http://www2.seibu.co.jp/usrinfo/index.html
  

株式会社西武百貨店(せいぶひゃっかてん、英称The Seibu Department Stores,Ltd.)は、日本の百貨店の一つ。かつての総合流通グループセゾングループの中核企業。現在は、そごうと共同で設立した持ち株会社ミレニアムリテイリング傘下で、買収防衛策のため、セブン&アイ・ホールディングス傘下にもある。本社・本店は東京都豊島区南池袋1丁目28番1号。

西武百貨店池袋本店の年間来店客数は東京ディズニーリゾート(約2.6千万人)を上回る7千万人で、日本第1位

セゾングループも参照

目次

概要~日本一オシャレな百貨店へ

辻井喬のペンネームで小説家でもある堤清二は、日本でいち早く欧米の高級ブランドエルメスラルフローレンなどを取り入れ、1984年、海外や国内の高級ブランドを一手に取り扱う専門商社大沢商会を傘下に収めたことで、事実上、国内高級ブランドのホールセールを独占。ファッションの総合商社”西武”が完成する。こうして、西武は日本一ブランド力のある百貨店の名を欲しいままにした。

また、「文化戦略」を打ち出し、渋谷パルコPart1~PART3、ロフト無印良品コンラン卿と提携したハビタ館、洋楽に強いレコード店WAVE、西武が設立に関わったFMラジオ局J-WAVE、洋書や近代思想、コンテンポラリーアートの画集などを幅広く手掛けた大型書店リブロ、高級スーパーザ・ガーデン自由ヶ丘、日本初の総合スポーツ専門館西武スポーツ館などの異業態を次々に創り出し、銀座セゾン劇場渋谷パルコ劇場パルコ・クアトロセゾン美術館、パルコ出版など、メセナ・文化事業も幅広く手掛けた。

沿革

  • 1930年三越の前身の越後屋より歴史の長い呉服店、日本橋白木屋1662年創業)と、京浜電気鉄道が共同で設立した京浜百貨店が、『菊屋』の名称で池袋駅に出店したデパートが始まり。
  • 1940年 西武鉄道の前身の武蔵野鉄道が『菊屋』(白木屋系)を買収。武蔵野デパートと改称。
  • 1947年 帝都百貨店の吸収を行い武蔵野百貨店と改称。[1]
  • 1949年西武百貨店と改称。
  • 1950年代前半に順次増改築が進み、大規模なターミナル型デパートとなる。
  • 1955年堤清二が取締役店長に就任。
  • 1956年 西武百貨店軽井沢店開業。
  • 1963年8月22日 この日定休日だった池袋店で火災、7人死亡。原因は消毒作業員(未成年)の隠れタバコの不始末。2日後の8月24日に冠水商品の大安売りを告知したところ約5万人が殺到したため中止となった。
  • 1968年 渋谷に西武百貨店が進出。
  • 1971年 父・堤康次郎は政治家になって実業を離れていたが、鉄道・流通一体となった「西武企業グループ」の全国展開を目指し、いまだ手腕を振るっていた。しかし、父の死後は相続問題により「西武鉄道グループ」と「西武流通グループ」に分裂。安定基盤である鉄道や不動産を失ったことで、流通グループは<西武>を名乗りながらも、いわば単独の道を歩み始める。
  • 1970年代以降 増田通二が開発したパルコの成功にヒントを得た「文化戦略」を打ち出す。
  • 1983年 池袋西武が売上高日本一へ(他店舗の売上高などを含めていたことが後々に判明。現在は名目上は4位)。だが、店頭売上額では日本3位。ただし、1位の日本橋三越本店は恵比寿店など3店舗を日本橋本店の売上に加えており、本店単体の売上額は非公表を貫いている。2位の伊勢丹新宿本店も全国の法人外商売上を含めている。
  • 1984年 有楽町マリオンに西武百貨店が進出。なお、二期ビル(有楽町西武地下2~4階など)が完成したのは1987年。
  • 1985年3月 西武流通グループから、「西武セゾングループ」と改称してからは急成長を遂げ、地方百貨店との提携や、西友運営の西武店(LIVINの項目参照)などで店舗網を増やし、もはや西武沿線やコクド(現・プリンスホテル)の拠点を抜け出し、全国制覇が実現した。直後には、<西武>を廃しセゾングループと改称、独立色はより鮮明となった。
  • 2006年 有楽町西武構造改善。「ビューティー館」と「ファッション館」。
  • 2007年 シブヤ西武を約80億をかけて改装。食料品を扱うデパ地下を再開。
  • 2007年9月14日 所沢西武リニューアルオープン。
  • 2008年 池袋西武構造改善(予定)

国内有数の百貨店グループから日本最大の流通グループへ

1992年、和田繁明が会長に就任。カリスマ堤清二のもと管理機能が不在となり、あらゆる弊害が顕在化している現状を痛烈に批判した『西武百貨店白書』を公表。この中で「百貨店は構造不況」だと指摘している。

バブル崩壊に伴う過去の不動産への過剰投資が重荷となり、パルコ等セゾン文化の中で養われた独自ブランドを手放し、更に最大の収益力を誇る池袋本店を不動産投資信託化して一千億以上の資金を調達するなどして再建に取り組んだ。この手腕が買われ、2000年民事再生法の適用を申請し経営破綻したそごうの社長に和田が抜擢された。和田は、西武百貨店の経営手法を多く取り入れる手法で(しかし、西武百貨店とそごうとの資本提携は行わずに)そごうの経営再建を進めた。このことが、図らずも、のちに西武百貨店とそごうが経営統合するにいたる大きなきっかけとなった。

西武百貨店の再建に明るい兆しが見えて来た所で、セゾングループの経営危機が表面化。傘下にあった西武百貨店にも経営不安がささやかれた。このとき、西武百貨店を救済したのが、西武百貨店の経営手法を取り入れて経営再建したばかりのそごうを傘下に収めていた「株式会社十合」であった。2003年から2004年にかけて十合が西武百貨店の第三者割当増資を段階的に引き受け、さらに株式交換を行う形で、西武百貨店を完全子会社化した結果、そごうと西武百貨店の経営統合が実現した。

なお、その過程の2003年6月1日に、株式会社十合はミレニアムリテイリングに商号変更し持株会社となっている。高島屋に次ぐ国内2位の巨大百貨店グループが誕生することになったこの経営統合が、双方ののれん(屋号)を維持しながら経営の合理化を実現した点で、のちに行われた大手百貨店どうしの経営統合に少なからず影響を与えている。

その後、再建を確かなものとするために野村証券グループなどを引受先とする増資を行い、連結子会社として株式上場を目指していたが、野村プリンシパルファンドと西武百貨店の間で上場時期を巡る意見の対立が顕在化したことに加え、敵対的買収防衛策の観点から、ミレニアムリテイリンググループはセブン&アイ・ホールディングスの傘下入りを決めた。その結果、かつてのセゾングループに匹敵する、国内最大の流通グループが誕生した。

なお、関西地区の西武百貨店は1976年(昭和51年)に開店した大津店を皮切りに西武百貨店関西によって運営されていたが、業績不振により西武百貨店(本社)へと統合された。しかし、その後も関西地区での業績は伸びず、関西の西武百貨店のシンボル的存在でイトマン事件の舞台になった「つかしん(塚新)店」(現グンゼタウンセンター つかしん)(尼崎市1985年開店)が2004年5月9日に閉鎖される遠因ともなった。

店舗

池袋本店 

旗艦店の池袋本店(東京都豊島区)は現在、年間来店客数が約7千万人に達し、集客数は国内有数。店頭売上高もトップレベルにある。因みに東武百貨店池袋本店は5千万人、小田急百貨店新宿本店は4.4千万人、阪急百貨店梅田本店は4千万人、伊勢丹新宿本店は3千万人とされる。

伊勢丹と並びファッションに関心が高い顧客層に根強い人気があり、前述のようにファッションの西武と呼ばれた。MDや売場編集能力も高く、また池袋本店のデパ地下は、ザ・ガーデン自由ヶ丘を出店させるなど、昔から他を圧倒する品揃えと人気があり、デパ地下ブームの火付け役になった。日経MJの2002年の調査や、(株)インターワイヤードの2005年の調査では、首都圏人気デパ地下NO.1にも選ばれている。 豊島園庭の湯ラクーアなどが近いことから水着の売上枚数も日本一である。

また、数多くの文化施設から次々に新鮮な企画が打ち出された。 新進作家の小物を展示即売するクリエイターズスペース、ビデオ・舞踏・落語などのイベントが行われたスタジオ200、ソフトが豊富だったビデオポート、ビデオ制作のスタジオテック、出張撮影が依頼できるキネテック、貴重盤の多いディスクポート、演劇ショップのワイズフールなど、それは、セゾン文化と呼ばれ一世を風靡し、西武百貨店のブランド力を強固なものにすることに貢献した。

シブヤ西武

シブヤ西武(東京都渋谷区)は、東急グループの当時の総帥五島昇と堤の密談で東急グループ渋谷松竹渋谷国際の両劇場跡地に、A館とB館を開店させた(その代わりに東急は池袋に東急ハンズなどを出店させている)。A館とB館の間には宇田川が流れているため通常の百貨店に存在する地下連絡通路は無く、唯一空中連絡路で繋がれている。

その後も関連企業のパルコによる渋谷公園通りスペイン坂等のセゾン文化の流れを上手く活用するのみならず、隣接地への増床に踏み切り、現在の西武の屋台骨というべきロフトを別館でオープンさせ、流行と文化の発信地になった。こうした戦略は東急を刺激し、109BUNKAMURAなどをオープンさせることに繋がり、一時期は「渋谷東西戦争」などと呼ばれた。食品売場も2007年に再開した。

有楽町西武

有楽町西武(東京都千代田区)は、当初は朝日新聞東宝松竹なども巻き込んで有楽町マリオン全体を活用した百貨店の開設を目指したが、阪急百貨店と共にハーフスペースで入居する形となった。数年前に、フルラインでの展開から、レディースファッションに特化した戦略に転換して成功している。なお、開業から数年間は株式会社有楽町西武という別会社での運営だった。

他の日本国内店舗

★関東地区

★北海道・東北地区

  • 札幌旧五番舘西武)
  • 旭川(A館は旧旭川緑屋ショッピングセンターams旭川店)
  • 秋田秋田中央ビルディングのキーテナント、旧・ほんきん西武):地元百貨店『本金』が西友傘下入り後に西武百貨店に経営移管。百貨店→量販店→百貨店となった珍しい例。

★東海地区

★関西・北陸地区

日本国外店舗

1990年、香港進出1号店として、金鐘のPacific Placeに出店。 迪生創建はその後も順調に出店を続け、2号店の銅鑼灣のWindsor House店(1997年開店、2006年閉店)こそ閉鎖するも、 現在【西武】ブランドにて、香港に5店舗・中国本土に2店舗・インドネシアに1店舗を構える。 現地法人としての【香港西武】は1996年に香港のブランド王と称される香港の潘迪生の率いる迪生創建(ディクソン・コンセプツ・インターナショナル)へ譲渡・売却。 現状これらの店舗に付いては、日本の西武百貨店とは商標使用契約のみに留まっており、資本関係はない。 ロゴマークも、漢字表記の【西武】並びにローマ字表記の【SEIBU】は日本の西武百貨店で使用されているものと同様のものが使用されている (ただし、ローマ字ロゴは有楽町西武などで使用されている、シンプルフォントタイプ)が、シンボルマークはディクソン傘下店舗は独自のものを 使用している。

過去に存在した西武百貨店の店舗

西武百貨店が運営していたことのある店舗。西友が運営していた店舗はLIVINの項目を参照のこと。

本館(2002年12月閉店)/長崎屋が2003年11月に「ラパーク長崎屋宇都宮店」オープン。
軽井沢西武 > 閉店 > コクド > プリンスホテル

出店を断念した店舗

POSシステム

出身著名人

関連項目

補足

  1. ^ なお、「西武百貨店・年表」においては、「帝都百貨店の吸収は、間違いだった」とされているので、検証がまたれている。

外部リンク


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2008年4月8日 02:04 版 改訂履歴
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