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板野郡

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令制国一覧>南海道>阿波国>板野郡

板野郡いたのぐん)は、阿波国徳島県北東部の人口96,573人、面積109.27km²、人口密度884人/km²。(2008年3月1日、推計人口

郡人口は四国で一位なほか、中国地方を含めると、広島県安芸郡に次ぐ二位、近畿まで広げても五本の指に入るほどである。中心の町である藍住、北島両町は、過疎地徳島県の中でも年々人口が増えており、また、郡内の町に周辺合併の話も出ていないため、このままいくと、再び人口10万人超の郡になる。

なお、徳島県民には板東英二アンジェラ・アキという徳島では数少ない芸能界で成功を果たした有名人を輩出した場としても知られる。

以下の5町を含む。

沿革

7世紀に制の板野評として建てられた[1]。これが701年に郡制に移行した。

平安時代後期から江戸時代初期(寛文4年)(1664年)までは板東郡・板西郡の2郡に分割されていたことが、当時の文書・絵図で確認される。 (板野町の三番札所金泉寺山門を境に南北に結ぶラインが板東・板西の境界であったと伝えられている。)

  • 1889年10月1日 - 町村制施行に伴い、板野郡に撫養町と20の村が成立する。(1町20村)
  • 1908年7月29日 - 板西村が町制施行し板西町となる。(2町19村)
  • 1915年11月10日 - 板東村が町制施行し板東町となる。(3町18村)
  • 1923年2月9日 - 一条村が町制施行し一条町となる。(4町17村)
  • 1928年11月1日 - 瀬戸村が町制施行し瀬戸町となる。(5町16村)
  • 1940年2月11日 - 北島村が町制施行し北島町となる。(6町15村)
  • 1940年4月1日 - 鳴門村が町制施行し鳴門町となる。(7町14村)
  • 1947年3月15日 - 撫養町・鳴門町・瀬戸町・里浦村が合併し、鳴南市が発足、郡より離脱。(4町13村)
  • 1947年11月3日 - 松島村が町制施行し松島町となる。(5町12村)
  • 1953年4月1日 - 堀江村が町制施行し堀江町となる。(6町11村)
  • 1954年3月20日 - 一条町の一部が麻植郡牛島村(現・吉野川市)に編入。
  • 1955年2月11日(6町8村)
    • 大津村が鳴門市に編入。
    • 板西町・栄村・松坂村が合併し、板野町が発足。
  • 1955年3月31日(7町5村)
    • 川内村が徳島市に編入。
    • 松島町・大山村が名西郡高志村と合併し、上板町が発足。
    • 御所村が阿波郡土成村と合併し、土成町が発足。
  • 1955年4月29日 - 藍園村・住吉村が合併し、藍住町が発足。(8町3村)
  • 1956年9月30日 - 北灘村が鳴門市に編入。(8町2村)
  • 1957年3月31日 - 一条町が阿波郡柿島村の一部と合併し、吉野町が発足。(8町2村)
  • 1959年4月1日 - 板東町・堀江町が合併し、大麻町が発足。(7町2村)
  • 1961年8月1日 - 松茂村が町制施行し松茂町となる。(8町1村)
  • 1966年10月1日 - 応神村が徳島市に編入。(8町)
  • 1967年1月1日 - 大麻町が鳴門市に編入。(7町)
  • 2005年4月1日 - 土成町・吉野町が阿波郡阿波町市場町と合併し、阿波市が発足、郡より離脱。(5町)

  1. ^ 藤原京藤原宮の北の外濠から出土した木簡に、「板野評津屋里猪脯」とある。奈良国立文化財研究所『藤原京木簡』一、153、1978年、解説77頁。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2008年4月8日 02:04 版 改訂履歴
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