日本三大都市
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日本三大都市(にほんさんだいとし、にっぽんさんだいとし)とは、日本にある上位3つの大都市をまとめて言う言葉。現代では一般に東京、大阪、名古屋を指す。以下三大都市と略す。
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三都(江戸時代)
江戸時代の三大都市は、「三都」と呼ばれていた。
江戸時代初期は安土桃山時代との繋がりで大坂が最大の人口を擁し、人口順では大坂・京(京都)・江戸であった。大坂と京は合わせて上方とも呼ばれていた。大坂は、日本における商業・流通・金融の中心地。京は、天皇・公家が住み、日本最大の工業都市として発展していた。江戸は出来たばかりであったが、日本最大の知行地(700万石とも言われる)を持つ江戸幕府の在所であるのみならず、参勤交代で各藩の大名と従者が隔年で集住するため、当時の日本で最も富裕層が集まる都市となり、大消費地となった。
江戸時代後半には江戸が最大の人口を擁し、人口順では江戸・大坂・京となった。江戸の人口増の背景として、大消費地を支える商業従事者の増加のほか、飢饉や貧困で営農放棄した農民の流入も言われている。また、火事(大火)が発生し易い気候の土地に造られた都市であったため建設業が発達し、大工や細工師などの工人を多く吸引したとも言われる。
なお、天皇が京に在所を置くため、慣例的に三都を記載する際の順番には「京・大坂・江戸」とする例と、人口順に書く例とが見られる。
三市(開国~明治中期)
開国以降、「開港5港」と呼ばれる国際貿易港のある都市の人口が急増した。また、明治時代に入って富国強兵が推進されると、近代工業都市、軍が置かれた都市、鉄道流通の拠点都市などの人口も増加した。しかし、明治期においてはまだ三都が人口の上位を占めていた(→市制#1889年の都市人口)。1889年の市制施行後の三大都市は、東京市・大阪市・京都市であり、「三市」と呼ばれた。
なお、京都のほかに東京にも皇居が設けられたこと、また、事実上天皇が東京に居を移したこともあり、当時の法律において三市を記載する順は「東京市・京都市・大阪市」であった(単に東から書いたのではない)。
三大都市が定義しづらい時期
六大都市(明治末~大正期)
1908年(明治41年)には、三市と同様に名古屋市にも区制が敷かれ、計4市に大都市制度が導入されることとなった。大正時代になると、名古屋市のほかに開港5港の神戸市や横浜市も京都市と人口で遜色なくなり、「三市」という枠の意味がなくなった。そのため、1922年(大正11年)には「六大都市行政監督ニ関スル法律」が施行され、東京市・京都市・大阪市・横浜市・神戸市・名古屋市が六大都市とされた(記載順は人口順ではない)。1920年の人口順は、東京市・大阪市・神戸市・京都市・名古屋市・横浜市(以降、各市の人口は都道府県庁所在地と政令指定都市の人口順位を参照)。
関東大震災後
1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が発生すると、関東にある東京市と横浜市は人口が減少し、移住者の多かった大阪市と名古屋市の人口が急増して、大阪市・東京市・名古屋市・京都市・神戸市・横浜市の順になった(1925年)。震災によって被災した東京市の人口は減ったが、震災の影響が少なかった隣接郡の人口は急増した。すなわち、東京では「天災によるドーナツ化現象」が発生した。
六大都市への大都市制度導入(昭和初期)
1927年(昭和2年)には横浜市、1931年には神戸市にも区制が施行され、六大都市とされた市の全てに大都市制度が導入された。1932年、東京市は隣接5郡82町村を編入して領域を拡大し、人口で大阪市を超えた。1943年には、東京都制が施行され、東京府と東京市が廃止されて東京都が置かれた(これ以降、東京都内に置かれた区の範囲を東京都区部と記載する)。これにより「六大都市」から東京市を除いた5都市が「五大都市」と呼ばれるようになった。
この時期は各地に大都市が育ち、三大都市の定義が困難である。ただし、関東大震災から戦中の空襲を受けるまでは、人口上位3都市は順位が入れ替わりながらも(東から)東京都区部・名古屋市・大阪市であった。
空襲後(戦後復興期)
戦中に空襲を受けなかった京都市を除き、六大都市は全て人口が減少した。そのため、戦後復興期の上位3都市は東京都区部・大阪市・京都市となった。復興が進むにつれて、東京都区部・大阪市・名古屋市が三大都市となった。
三大都市圏
高度経済成長期
高度経済成長期に入ると、重厚長大の化学工業や機械工業が発達した。重厚長大産業は「装置集約型産業」であり、かつ、原料を輸入に頼った日本では、沿岸部にそれらが集中して臨海工業の形態を見せた。この臨海工業地域には農村の余剰労働力が流入し、沿岸部に人口が集中する太平洋ベルトが形成された。また、人口の都市への流入は、国民の過半数が自給自足生活であった近代から、国民の多数が自給自足をせずに消費生活をする都市住民へ転換がなされることを意味し、都市では第三次産業も大きく発展していくことになる。
沿岸部に広がる第二次産業と都心に集中する第三次産業の両者の労働者は、内陸へと居住地を求めていったため、都市を自治体の範囲で定義することは意味を失い、都市圏がその代用となった。結果、産業の集中と人口増を実現した大都市圏として、東京都区部を中心とする東京圏(首都圏)、大阪市を中心とする大阪圏(近畿圏)、名古屋市を中心とする名古屋圏(中京圏)が認められ、これらを三大都市圏というようになった。
なお、都市圏は自治体の範囲と異なり定義が様々できること、五大都市に政令指定都市が導入されたことなどから、以下のような見方が生まれた。
- 三大都市 = 三大都市圏(東京圏・大阪圏・名古屋圏)
- 三大都市 = 三大都市圏の中心都市(東京都区部・大阪市・名古屋市)
- 三大都市 = 人口の多い都市(東京都区部・大阪市・横浜市)
- 三大都市 = 人口の多い市(大阪市・横浜市・名古屋市)
低成長期~バブル期
ニクソンショックとオイルショックで日本が低成長時代に入り、労働者の過半数が第三次産業人口となってくると、太平洋ベルトにある程度満遍なく分布してきた人口が、地方ブロックの中枢都市圏に集中する傾向が強まった。また、都市圏はマイホーム需要から更に内陸に広がった。バブル景気の発生によって地価が高騰すると、各都市圏は更に広がり、既に郊外とは言えないような遠隔地からでも特急や新幹線で通勤する者が現れた。
他方、都心の地価上昇で業務コストも上昇し、企業の競争力低下が問題となると、三大都市圏では都心から離れた地区に副都心や新都心と呼ばれる業務地を設定し、業務の郊外化を勧めた。また、モータリゼーションの進展、あるいは、郊外の居住者増に応じて、物販・サービスの郊外化も進んだ。
これらにより、三大都市圏内には中心都市以外にも拠点となる衛星都市が生まれた。この時期に自治体面積が広く、東京の衛星都市となった横浜市が、大阪市の人口を超えてしまった。そのため、三大都市を「3. 人口の多い都市」とした場合に東京都区部・横浜市・大阪市、あるいは、三大都市を「4. 人口の多い市」とした場合に横浜市・大阪市・名古屋市との順で呼ばれるようになった。ただし、三大都市を「1. 三大都市圏」あるいは「2. 三大都市圏の中心都市」とする場合は東京・大阪・名古屋のままであり、変化はない。
関連項目
カテゴリ: 名数 | 日本の都市 | 日本の地理関連のスタブ項目
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2008年4月8日 02:04 版 改訂履歴 Text is available under GNU Free Documentation License. |