広島市民球場
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| 広島市民球場 Hiroshima Municipal Baseball Stadium |
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|---|---|
| 施設データ | |
| 所在地 | 広島県広島市中区基町5-25 |
| 起工 | 1957年2月22日 |
| 開場 | 1957年7月24日 |
| 所有者 | 広島市 |
| 管理・運用者 | 広島市 |
| グラウンド | 内野 - 黒土 外野 - 天然芝(高麗芝) |
| 照明 | 照明塔 - 6基 最大照度 投捕間:3073Lx 内 野:2674Lx 外 野:1801Lx |
| 建設費 | 2億5600万円 |
| 設計者 | 石本建築事務所 |
| 建設者 | 増岡組 |
| 使用チーム • 開催試合 | |
| 広島東洋カープ(開場~現在) | |
| 収容能力 | |
| 31,984人(消防法上の定員は 31,686人となっている) |
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| グラウンドデータ | |
| 球場規模 | グラウンド面積:12,160 m² 両翼 - 91.4 m(約299.9 ft) 中堅 - 115.8 m(約379.9 ft) |
| フェンス | 2.55 m (約8.4 ft) |
広島市民球場(ひろしましみんきゅうじょう)は、日本の広島県広島市中区基町にある野球場。日本プロ野球・セントラル・リーグの広島東洋カープが本拠地としている。施設は広島市が所有及び運営管理を行っている。但し球場内の売店などは広島球団側に営業権が認められている。
目次 |
概要
広島東洋カープのホームゲームの他、アマチュア野球の試合にも広く開放され、夏季甲子園大会の広島県予選・決勝戦や都市対抗野球の広島県予選なども市民球場で開催される。カープの試合がある日でも、午前中は市民に貸し出しを行っていることがある。
歴史
1950年代、日本各地の野球場にナイター設備が整備されていくなかで、当時の広島の本拠地・広島総合球場には照明灯がなく、広島市民・ファンから新球場を求める声が挙がっていた。これを受け広島市へ地元財界などから寄付金が集まり、1957年1月31日に新球場建設が決定。同年2月22日に起工式が行われ、5ヶ月後の7月22日にはファン15,000人を集めて完工式・照明点灯式が行われ、2日後に中国地方初のナイター設備設置球場として開場した。
阪神甲子園球場やスカイマークスタジアムと並び、プロ球団の本拠地球場としては現在では少なくなった天然芝球場(ファウルゾーンを除く)である。両翼91.4メートル、中堅115.8メートルという外野は、プロ球団の本拠地球場の中では一番狭い。内野スタンドは二層式で収容人員約20,000人、外野は収容人員約12,000人、計32,000人ほどを収容できるとされている。また、内野の上層スタンドがかかる同下層スタンドの一部を除き、屋根は設置されていない。
1985年8月12日の日本航空123便墜落事故で犠牲になった阪神タイガース球団社長の中埜肇もこの球場の建築に携わった一人であり、偶然にも同社長の死亡が確認された同年8月17日は同球場で対阪神戦があったため、広島・阪神両チームの選手や首脳陣らが試合開始前に同球場建設への貢献に対する感謝と、哀悼の意を込めて黙祷した。また、当日はスコアボード上にある広島・阪神両チームの球団旗を半旗の状態にして試合を行った。
施設の老朽化が進んでいることなどから、2000年代に入り当球場に代わる新しい球場の建設が検討され始め、新球場(後述)が完成する2009年3月31日をもって閉場することが内定している。
設備
スコアボード
開場当時から1992年までの35年間使われた初代のスコアボード(右中間に設置)はパネル式。イニングスコア部を挟んだ両サイドにそれぞれのチームの出場選手名を表示していた。また表示方式にも特徴があり、現在の打者をランプ(信号灯)で、出塁している走者は打順ランプの外側を囲うネオン管を点灯させて表示していた。またスコアボード棟の内部は3層構造でクーラーも無く、夏場は涼むためスコアボードのパネルを空けて係員が涼をとっていた(のちにスパイ容疑が掛かることになる)。中央に得点掲示板、審判団、カウント表示、下段には他球場(セ・リーグのみ)のスコア、さらに次回試合日程が出ていた。パネル式時代のスコアボードは最大16回までと合計得点、安打、エラーを書き記すことが可能だったが、スコアが見づらくなるという理由から晩年は合計得点を表す「R」部分には表示をしていなかった。
1994年のアジア競技大会開催に合わせて1992年オフに改修を行い、1993年からスコアボードは中堅バックスクリーン上に移設され電光式に。松下電器産業製の大型映像装置「アストロビジョン」も設置された。しかし旧来の放電管方式だったため保守部品の消耗が早く、設置から10年を経過してそれらの入れ替えもままならなくなったため[1]、2005年にLED式に改装され、ポジションの数字が大きくなり、ネーム部分は幅がやや狭くなった。表示部は1993年以来の配置を踏襲し、横スクロールで左翼側に映像装置、右翼側に得点(10回まで)と出場メンバー表示が出来るようになっている。また打者はもちろん、塁に出た走者に対しても白地の文字が黄緑色で表示されるという他球場にはない特徴も、パネル式時代の表示方式を踏襲し続けている。スコアボードの得点表示部は、電光化当初は「青地に白文字」で表示していたが、放電管の消耗が著しくなった2000年頃から「黒地に白文字」に設定を変更して点灯部を減らし、放電管の負荷を軽減させていた。LED式に改装後は以前と同様「青地に白文字」に設定を戻している。
電光化された後のスコアボードの球団名は「~ズ」といったチーム名表記ではなく、頭の地名などを使用している。そのためセ・パ交流戦では「北海道」(北海道日本ハムファイターズ)、「千葉」(千葉ロッテマリーンズ)、「福岡」(福岡ソフトバンクホークス)など、マスコミが多用する企業名表記とは違うために違和感を感じさせる表示になっていた。2006年からは北海道日本ハムファイターズは「日本ハム」、東北楽天ゴールデンイーグルスは「楽天」の表記になった。東京ヤクルトスワローズはこれまで通り「ヤクルト」だった。
可動式広告板
本塁を南南東に置く構造のため、西側の左翼スタンド背後に沈む太陽の直射日光が打者や捕手のプレーを妨げたり、特に三塁側から一塁手への送球や一塁ベンチ(ホームチーム側)を直撃するようになっていた。そのため太陽が完全に沈むまで試合を開始しない措置がとられることもあった。現在では左翼スタンド最上段に西日避けの可動式大型広告板が存在し、このような心配はなくなっている。
場内アナウンス・効果音
場内アナウンスは投手交代時、名前・背番号のみならず、その投手のシーズン成績(その時点まで)を「○○投手は□試合目の登板、○勝△敗セーブ□でございます」のように読み上げる(広島・相手球団とも)。これはかつて市民球場に大型映像装置など情報を表示するための設備がなかった頃から続けられているもので、その名残りといわれている。ただし、2008年シーズンは言わなくなった。
広島・相手の選手に関わらずホームランが出たときには球場独特のファンファーレが鳴る。ほぼ10年周期で曲は変わる。ただ、2005年以降は鳴らなくなった模様。
また試合開始のプレイボールがかかると、フランツ・フォン・スッペ作曲の「軽騎兵序曲」が流れる。広島市民球場での1回裏の広島の攻撃が始まるとき、そしてビジター球場でも1回表の広島の攻撃が始まるときにも広島応援団のトランペットでこの曲が演奏され、それが応援開始の合図となっているほどこの曲はファンの間で定着している。
放送ブース
放送ブースはバックネット裏(グラウンドの最前列)と、1階席と2階席の中間の2箇所に設置されている。テレビの中継でも頻繁に映っているバックネット裏のブースはラジオ放送用に使われ、選手のプレイを間近で見る形で放送することとなる。なお、RCCの一柳信行アナウンサーは座高が高いので、彼がラジオブースに座った様子がテレビの画面でもすぐわかる。
歴史
- 1950年 広島カープ(1968年シーズンから広島東洋カープ)が広島総合球場(現広島県総合グランド野球場)をフランチャイズとしてセントラル・リーグに加盟。
- その後、ナイター設備がないことや、観客の収容能力が少ないことなどから近代的な球場の建設が求められた。
- 1957年7月20日 地元財界の建設資金寄付を受けた広島市が、中国地方初のナイター設備付き野球場としてこの球場を開設。
- 1957年7月24日 広島対阪神戦で球場開き(ナイター)。選手はみな固くなり当時の二枚看板、長谷川良平と備前喜夫が共に阪神打線の猛攻を許し、1 - 15で大敗した。
- 1964年6月30日 この日広島市民球場で開催された広島 - 阪神戦で、阿南準郎のプレーをめぐる抗議で2時間30分の中断の末中止となり、この決定に怒ったファンが防球ネットや放送ブースなど場内の施設を破壊。修理を要するため、翌日と翌々日に予定されていた試合が中止となった。
- 1980年 広島東洋カープが、初めて広島市民球場で日本シリーズ優勝を達成。
- 1987年 1985年以来の内野席二層化工事が完成(1986年のシーズンは三塁側のみに2階席を増築。1987年に残った一塁側とネット裏の2階席が増築され全面竣工した。またこの際、内野の照明塔は鉄塔式からポール式となった)。
- 1993年 スコアボードを移設し電光式に。外野の照明塔もポール式となった。
- 2004年10月30日 奥田民生のアコースティックライブ「ひとり股旅スペシャル@広島市民球場」が行われ、初めて球場がコンサートに使用された。
- 2005年 スコアボードをフルカラー表示の発光ダイオード(LED)へ切り替え。
- 2006年5月5日 中日ドラゴンズ戦で30,151人の観客を動員し、2005年からの実数発表以来初の観客動員30,000人を超えた。
- 2006年6月 広島市に常石造船(現ツネイシホールディングス)が市民球場の命名権購入を申し出た(希望額は年間2億円)。この他イズミ、章栄不動産も市民球場の命名権の購入を申し出た他、7月に広島郷心会がマツダに対して命名権購入の提案を行うなどの動きがあった。市は命名権の売却を進めるか否か、市議会や市民の意見などを聴いた上で検討する方針を明らかにした。
- 2007年6月 市は市民球場の命名権売却を同年後半に実施する方向で検討していたが、広島市長秋葉忠利は同月8日の記者会見で「市民球場は今年が開場50周年であり、歴史の重みと市民の愛着の強さを感じる。“市民球場”という名称に愛着が深く、市民の関心が想像以上に盛り上がっている中で命名権を導入するのは難しい。また導入しても、契約期間は(新球場完成までの)2年間弱に限られる」として、売却を見送る考えを明らかにした。
トピックス
- 原爆ドームや広島平和記念公園に近く、原子爆弾が広島市に投下された8月6日は市民球場の定休日とされている。これは、球場を所有する広島市の業務が休みとなるためである。カープはこの日に主催試合がある場合は福山市の福山市民球場や尾道市のしまなみ球場などで行う。ただ、被爆60周年にあたる2005年頃より、「原爆記念日に市民球場で公式戦をして欲しい。試合を行う事で原爆で亡くなった方が市民球場へ野球を見に来るかもしれない」という意見も出てきている。そのためなのか、最終年の2008年には1958年以来となる公式戦開催が計画されていたが、2007年11月27日に発表されたセ・リーグの2008年セ・リーグ試合日程では京セラドーム大阪での阪神戦となり実現しなかった。なお、実施する場合にはその日は鳴り物応援は禁止となる予定だった。
- 屋根がないために雨天順延の可能性があり、日米野球など日程の詰まっている大会では市民球場の使用が敬遠される傾向にある。また1995年を最後に市民球場でのオールスターゲームは行われなくなっていたが、2009年に新球場で開催されることが内定した(2002年の広島主管試合は松山坊っちゃんスタジアムで開催された)。
- 1986年の日本シリーズ第1戦では、相手チーム西武のロゴの作成が間に合わなかったのか、スコアボードの表記は「西武」「C」となっていた。また、そのシリーズ後半では、西武側もアルファベット表記になったが、筆記体の「L」ではなくブロック体の「L」となっていた。
- 山本浩二の現役時は、当初は他に同じ山本姓の山本一義が在籍していたために場内アナウンスではフルネームで呼んでいたが、一義が引退してコーチに就任して山本姓が浩二一人になった後も、その多大な貢献を称えるために「山本浩二」とコールしていた(山本姓ではその後、山本和男投手が在籍した)。
- 先述のように、本塁を南南東に置く構造のため、西側の左翼スタンド背後に沈む太陽の直射日光が一塁ベンチを直撃する。そのため、可動式大型広告板(先述)が完成するまでのデイゲームでは、ホームチームの広島が三塁側のベンチを使用することがあった(ルール上、どちらのベンチを使用するかはホームチームに決定権がある)。
トラブルによる試合中止
広島市民球場ではこれまでに2回トラブルによる試合中止が発生している。
- 1964年6月30日の阪神タイガースとの対戦において、阿南準郎選手のプレーをめぐって、阪神側が抗議。試合の続行を求めたものの審判が選手の健康管理上の問題やファンの交通移動などの問題などから試合を打ち切った。しかしこれに怒ったファンが抗議し、グラウンドに乱入し球場施設を壊したため、7月1日、2日に開催する予定だった残りの2試合を含む3連戦の開催は取りやめとなった。
- 1975年9月10日に行われた中日ドラゴンズ戦でも、試合中のプレーをめぐる乱闘などの影響でファンが球場に乱入。やはり球場の施設が破壊され、中日の選手・コーチが負傷する事態が起きた影響で9月11日の試合も取り消しとなった。その日、9月10日は当時中学生だったタレント風見しんごもグラウンドに乱入し、星野仙一に砂をかけるなどしている。その後、風見が「僕、笑っちゃいます」で「ザ・ベストテン」(TBS)に出演した時に、その時のお詫びをしたいとスタジオから電話で星野仙一に詫びたというエピソードがあり、星野も「何か小僧に砂をかけられたことは覚えている」と語った。
セリーグ試合開始遅延記録
2007年9月24日対東京ヤクルト第20回戦。この日は降雨の為試合開始時間が1時間29分遅れの19時29分の試合開始となった(本来は18時から)。また、次の遅延記録も同じく同球場の1994年8月20日の対巨人第21回戦の1時間27分遅れで試合が開始されている。
敵チーム選手のお別れセレモニー
2007年9月27日の東京ヤクルト戦(上記の4連戦の最後の試合)。この日は、古田敦也選手兼任監督が代打で登場。両軍のファンからエールを送られ(広島の応援団は古田の応援歌をトランペットで演奏。広島ファンは恒例のスクワット応援を行った)第一打席は今シーズン初安打となるセンター前ヒット。第二打席はセンターオーバーのツーベースヒットだった(対戦投手は先発投手の黒田博樹)。試合終了後、敵地では異例のお別れセレモニーだった。セレモニー終了後、古田はグランド一周し、サインボールを36球投げ入れ、両軍ファンは、古田の引退を惜しんだ。
コンサート開催
騒音問題などを理由に、他の野球場では行われている大規模コンサートは当球場では開催を認められていなかった。広島市出身で大のカープファンとしても知られている奥田民生は、「ギター一本のアコースティックライブ」という自らのスタイルを主張して説得を続け、初の市民球場コンサート開催にこぎ着けた。このコンサートを行なうにあたり、
- 音量を制限すること
- グラウンドに観客を入れないこと
- 20時までに公演を終了させること
以上の3つが条件として提示され、奥田側もこれを了承、2004年10月30日に開催された。
2007年8月9日には、球場開設50周年記念としてさだまさしが昨年終了した平和祈念コンサート『夏 長崎から さだまさし』の広島版『広島市民球場開設50周年記念「2007 夏 広島から さだまさし」』を開催した。さだは奥田と違い通常のバンド構成でコンサートを行ったが、翌日球場長へ挨拶に行ったところ、平和祈念コンサートだったということもあってか「音の苦情は一件もありませんでした」と言われたという。(TV Station掲載のさだのエッセイ「もう愛の唄なんて歌えない」より)
立地
広島市の中心部にあり、旧太田川の左岸(東側)、広島中央公園の敷地内にある。原爆ドームとは道路を挟んで向かい合っており、また、広島県庁や広島平和記念公園、基町クレド、そごう広島店、繁華街の紙屋町にも近く、日本の屋外球技施設の中では数少ない都心に立地する球場である。
市内の中心部でネットワークを作る広島電鉄の路面電車や、市北西部の住宅地まで延びるアストラムラインでの来場は便利である。また、高速バスをはじめ、市の内外に路線が延びる広島バスセンターからもほど近い。一方、広島駅からは少し離れているため、JR西日本を利用した郊外からの観戦には若干不便である。広島駅からの交通手段は路面電車で本線・宮島線系統(宮島口・広電西広島方面行き)と、バス、タクシーがある。
戦前まで廣島護國神社がこの地にあった。
最寄駅
主な広告看板(フェンスを含む)
- オタフク
- イズミ
- MazDa
- CGC
- KIRIN
- Asahi
- 広島銀行
- もみじ銀行
- 山口銀行
- 千福
- 広島テレビ
- 広島ホームテレビ
- RCC
- tss
- 広島修道大学
- INVOICE
- 読売新聞
- 中国醸造
- Coca-Cola
- ジーベック
- RYOBI
- 広島FM
- 東洋証券
- ウツミ屋証券→ひろぎんウツミ屋証券
- 田中宏(広島出身の漫画家)
- SUZUKI
- 損保ジャパン
- フマキラー
- YANMAR
- タカキベーカリー
- ますやみそ
- 五洋建設
- WOODONE
- アサヒ飲料
- Orient
- POPLAR
- HITACHI
- 中国新聞
- KOBELCO
- 京セラミタ
- 広島ガス
新球場建設と跡地利用
新球場
ドーム球場構想、オープン球場建設計画の挫折
カープ球団は1980年代から球団職員をメジャーリーグのスタジアムから国内の地方球場に至るまでくまなく派遣、施設の視察を行わせるなど、広島市民球場に代わる新球場の研究を精力的に重ねてきた。
90年代に入ると、広島市長の平岡敬が「若者に魅力ある街づくり」との観点から、国鉄清算事業団が売却の方針を示していた広島市南区東駅町の東広島貨物駅貨物ヤード移転跡地に、ドーム球場建設を検討する考えを表明する。その後、地元経済界を中心に相次いでドーム球場プランが提言されたことを背景に、広島市の跡地検討調査委員会は97年9月、「貨物ヤード跡地の利用目的はドーム球場建設」との結論を出した。 98年3月、広島市はこの土地を広島市土地開発公社に先行取得させた。
その頃には、広島市の財政事情悪化でドーム球場建設についての議論は下火になっていたものの、2000年代に入ると広島市民球場は開場から約半世紀が経過、外野フェンスの一部に穴が開くようになり、大ビジョンは使用時間が1万時間オーバーと耐用限度の8000時間を軽く超え、プラスチック座席は3連戦で3,40席は壊れるなど、老朽化がより一層深刻になった。
また、三塁側ビジターチームのロッカーは冷房施設すらなく、他球団の選手が大型扇風機を購入して無償で提供するような状態であり、あふれた選手は通路で着替えなければならないこと等、設備面に対しても不満の声が漏れ始めた。
こうした事情に加えて、ヤード跡地の金利負担軽減特例措置が切れる2003年が迫ってきたこともあり、再びドーム球場の可能性を含めた新球場建設が検討されるようになった。その結果、ドーム球場は建設費・維持費が高いことが判明した上、カープ球団も「人工芝は選手にとって体への負担が大きく、米国では時代遅れとなった[2]」ことなどを指摘したため、2001年3月、広島市は「ヤード跡地には天然芝球場を中核にした複合型オープン施設の建設が有力」とする方針を固めた。
地元経済界などからは、天候に左右されない広域集客のため、あくまでドーム球場建設を求める意見が出されたが、カープ球団はこの複合型オープン施設案の事業化を検討開始。2002年に行われたコンペにおいて、広島東洋カープと米国の不動産信託最大手サイモン・プロパティ・グループ、電通、鹿島建設などによる共同企業体「チーム・エンティアム」が提案したPFI方式によるオープン型球場建設を核にした再開発計画が正式決定、2004年度着手、2007年度オープンとされた。
しかし、計画を進める途中の2003年11月、サイモン・プロパティ・グループが日本における投資方針を「三大都市圏重視」に変更、同年12月1日には広島からの事業撤退の意向を表明する。共同企業体の中核企業が撤退したことを受けて計画は全面的に白紙化、頓挫した。
現球場改築か、新設球場か
その後、大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併問題を契機とした球界再編問題が起きた際に、カープ球団の生き残りに危機感を覚えた地元経済界を中心に、新球場の(貨物ヤード跡地への)単独建設や市民球場の改築などの案が検討されはじめた。これと並行するように、中国新聞、中国放送などの地元マスメディアは「樽基金」と題して、建設資金捻出のための市民募金運動を実施し、最終的に約1億2000万円の募金を集めた。
検討を進めていく過程で、「観客席最後部に位置し、フィールドを望めた上で、球場を周回可能な幅8m~12mのコンコース設置」、「大リーグ球場並みのゆったりとした間隔・レイアウトの観客席」、「緩やかな勾配の1階席と、高さが抑えられ観戦しやすい2階席の設置」、「球場関係諸室面積25,000 m²(現市民球場は約12,500 m²)の確保」、等のカープ球団の要望を満たすため、新球場は市民球場より遙かに規模の大きい建築物となることが明らかとなった。そのため現位置で改築を行う場合、まず近接している建物との干渉が問題になる。加えてホームゲームを進めながらの改築となれば、選手・観客への安全面での充分な配慮が必要となるため、建設費用の増加や工期の長期化が予想される。さらにこれが不可能であればホームゲームをどこで行うか、その遠征費の負担は誰が負うのか等、検討が必要になる。
一方、貨物ヤード跡地に移転した場合、用地面での制約はなく、さらに球場を中心とした広島駅周辺の大規模な再開発が可能になる一方で、現状では公共交通機関や周辺道路が現位置ほどには整備されておらず、市民球場に慣れ親しんだ観客にとって交通利便性は悪化する。ただし、これは予定地の真横を走るJR西日本山陽本線に新駅を設置することである程度の対応が可能であり、JR西日本も地元自治体からの資金提供さえあればいつでも駅設置に応じる構えではある。
さらに、市民球場周辺の商店からは、街と一体化している球場が移転すると顧客の流れが大きく変わる恐れがあることへの懸念が示され、他にも事業主体をどうするか、何より資金調達の問題などを含めて、両者のメリット・デメリットはさまざまだった。
新球場建設へさらなる混沌
2005年7月に入り、広島市長の秋葉忠利が、現在地での建設困難を理由に貨物ヤード跡地に建設する方針を示す。経済界や一部ファンの強い反発もあったが、その後、経済界はその方針を追認。新球場の方向性が固まったこともあり、2009年に新球場でのオールスターゲームの開催が内定した。
しかし、2006年3月に実施された新球場の設計・施工コンペでは、防衛施設庁談合事件に絡んだ多数のゼネコンが参加できない事態となり、唯一参加資格を得たグループの案も、「(この設計案では)興行していく自信がない」と酷評されるほどカープ球団との見解の相違が大きく、また広島市民やファンの間でも結果として一グループだけのコンペになったことへの不満・反発が強く、不採用となった。2006年4月には建設予定地の土壌から基準値を超える砒素が検出され、プレーする選手や観客の安全性を問題視する報道がなされた[3]。
また、広島市が再コンペ時に球場本体の建設予算を90億円(周辺開発に関する建設費並びに収益を含まず)に設定したことは、100億円以上の建設費を費やした他球場の例[4]を、一部マスメディアによってしばしば引き合いに出される結果となり、市民やファンの間に、「カープの本拠地となるのに、貧弱な設備しか持たない球場が出来上がるのでは?」という憶測が流れた。2006年6月には、先の設計・施工コンペに参加したものの選考前に辞退したアラップスポーツ[5]が広島市の方針に異を唱える記者会見を行い、建設費用を190億円に設定した独自の球場プラン[6]を公開する事態まで発生した。
このように新球場を巡る混沌とした状況に加えて、現球場の跡地利用策が遅々として進展しなかったため、市民やファンからは、「広島市は本当に新球場を作る気があるのか」「(オールスターゲームが行われる)2009年に新球場は間に合うのか」といった厳しい意見も出始めていた。
建設着手、2009年開場へ
| 新広島市民球場 New Hiroshima Municipal Baseball Stadium |
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|---|---|
| image:Image:広島市新球場・500分の1サイズ模型.JPG | |
| 施設データ | |
| 所在地 | 広島県広島市南区東駅町外 |
| 起工 | 2007年11月26日 |
| 開場 | 2009年3月(予定) |
| 所有者 | 広島市(予定) |
| 管理・運用者 | 未定 |
| グラウンド | 内野 - 天然芝(ティフトン) 外野 - 天然芝(ティフトン) |
| 照明 | 照明灯 - 6基 最大照度 投捕間:2500Lx 内 野:2000Lx 外 野:1500Lx |
| 設計者 | 環境デザイン研究所 |
| 建設者 | 五洋建設・増岡組・鴻治組JV |
| 使用チーム • 開催試合 | |
| 広島東洋カープ(2009年 - ) | |
| 収容能力 | |
| 30,350人(固定席) その他、300席の車椅子スペース |
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| グラウンドデータ | |
| 球場規模 | グラウンド面積:12,675 m² 左翼 - 101 m(約331.4 ft) 中堅 - 122 m(約400.3 ft) 右翼 - 100 m(約328.1 ft) |
| フェンス | 外野 - 2.5 m(約8.2 ft) (クッション付フェンス:1m80cm + 金網フェンス:70cm) レフトポール部分 - 7.5 m(約24.6 ft) ライトポール部分 - 3.4 m(約11.2 ft) |
上記のような厳しい見方があった中、2006年8月になって、駅東町地区インフラ整備として(新球場予定地も含めた)排水路工事が始まったほか、同年9月には設計のみを対象としたコンペが新たに実施され、最優秀案として東京辰巳国際水泳場や兵庫県立但馬ドームなどを設計した環境デザイン研究所(東京都港区)の作品が選ばれ、広島市は10月26日、この案を元にした基本・実施設計契約を同社と締結した。
環境デザイン研究所では、広島市に寄せられたファンや選手からの意見[7]を採り入れつつ、2007年2月に基本設計、同年7月には建設費用の積算を終えた実施設計を取りまとめた。
こうした経緯を経て出来上がった設計案の特徴として、以下の点が挙げられる。
- 広島の新しい観光資源としてPR:球場を北側のJR側へ大きく開く形態とした。これによって平行する山陽新幹線などJR車窓から試合の様子がうかがえるようになった上、内外野の天然芝保護に必要な風通し・通気性も確保されている。
- 左右非対称を基本とした構造:フィールドのサイズは、左翼101m、中堅122m、右翼100m。公認野球規則の規定を満たしているが、こうした左右非対称のフィールドはメジャーリーグのスタジアムで一般的であるものの、従来の日本ではあまり見られないものである。外野スタンドも人気のあるホームチーム側(ライト側)の席を多くした左右非対称形であり、特徴有るスタンドとなっている。
- ファールグラウンドの縮小:公認野球規則の制限内で可能な限り小さくしたことにより、観客は選手のプレーをより身近に見ることができるようになった。カープ球団の松田元オーナーは、「選手との近さは大切な要素だ。二軍ホームグラウンドの建設当時、ファウルグラウンドを広く取るのがいいと考えたが、プレーの臨場感や迫力を考えればミスジャッジだった。」と語っており、その反省点が活かされている。
- 緩やかな勾配のスタンド:1階席8.9~18.6度、2階席29.5度と、国内の一般的な球場のスタンドと比べて、5~10度勾配が緩やかであり、メジャーリーグのスタジアム並である。このためコンコースへの行き来も容易である。
- 多様な観戦シート:熱烈なファン向けの「パフォーマンスシート」や「砂かぶり席」の他、「ボックスフロア」「パーティフロア」「ブルペンレストラン」「のぞき穴チューブ」などが用意され、多くの人に観戦を楽しんでもらえるよう配慮されている。
- ゆったりとしたスペースの観客席:内外野スタンドの全席に、メジャーリーグクラスの横幅50cm、奥行85cmのスペースが用意されている。さらに内野スタンド外野寄りの席はピッチャーマウンド方向に向けて設置され、投手と打者とのマウンド間の勝負が基本になる野球の観戦に最適になるよう配慮されている。
- 幅が広く段差のないコンコース:内野部分12m、外野部分8mの幅を持つコンコースは1階観客席の最後部に配置される。ここには多数の売店・トイレが用意されており、どの位置からでもフィールドを眺めることが可能である。このように試合途中で観戦を中断させられることがないよう配慮されている他、このコンコースを利用して球場を周回することも可能である。
- ユニバーサルデザインの導入:車椅子利用者のためのスペースがコンコース上に300席用意される他、利用者はエレベーターを使えば球場内のあらゆる所への移動が可能である。また球場を周回するコンコース上に、オストメイト対応型多目的トイレ、授乳室など用意されている。
- 自動散水装置の導入:内外野の天然芝を効率的に育成・維持するため、グラウンド内にポップアップ式の自動散水装置が導入される。
このように本設計案は、様々な観客視点に立った試みがなされているのが大きな特徴である。これは90年代以降、メジャーリーグで主流となったオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズに代表される新古典主義[8]の考え方を、カープ球団が新球場にも取り入れるよう要望した結果である。建設予算等で制約があったものの、プレキャスト工法を採用して建設費抑制、工期短縮を図るなど、その建築手法にも工夫がこらされており、結果として規模・設備面において、国内のオープン球場としては屈指[9]のものとなった。
一方、本体建設予算90億円の一部については、前述の「樽基金」や国土交通省のまちづくり交付金の他、新球場の年間使用料8億8500万円のうち、6億5500万円が充当されることが決まっている。カープ球団は球場使用料として、現市民球場に対しては年間5億6000万円を支払っているが、これが新球場では1900万円増額された5億7900万円となる[10](この負担増については「より快適な環境を提供するため」とされ、カープ球団からも異議は出ていない)。残る3億円の年間使用料の負担については、従来のアマチュア・マスメディアからの使用料徴収、さらに広島市、広島県で負担するとされている。
こうした要因を加えると、残る実質負担額は46億円となる見込みであり、2007年6月4日、広島市・広島県・地元経済界の3者で、広島市が23億、広島県と地元経済界が11億5千万円(うちマツダ、中国電力、広島銀行の3社で半額程度)ずつを負担することで合意した。
新球場設計案、建設費用の負担が正式決定したことを受け、本体建築工事については2007年8月30日に一般競争入札を実施した結果、唯一応札した五洋建設と増岡組、鴻治組の広島にゆかりのある三社[11]による共同企業体 (JV) が予定価格の99.99%[12]で落札。電気設備工事を落札した中電工、日本電設工業、長沼電業社のJVと共に、2007年9月28日の市議会の工事請負契約の議決を受け、同年11月26日、2009年3月の完成を目指して建設工事は着工した。
上記の入札の後には、空調設備、衛生設備、スコアボード(大型映像装置・サブスコアボードを含む)等の工事についても入札が行われており、その結果、トータルの落札額が予定価格より2億9000万円安くなったため、この「差額分」は、完成後に追加予定だった設備(エレベーターなど)の発注や観客席のグレードアップ[13]に充てられることになった。
なお、新球場の名称についてであるが、球場利用に関する広島市条例(2008年3月市議会議決)が制定され、正式名称は「新広島市民球場」と決まった。これとは別に命名権(ネーミングライツ)を導入することについて、広島市は2008年夏を目途に決定する方針である。 スーパーのイズミ等、地元企業数社が命名権購入を検討していると報道されている。
施設データ
注:()内は広島市民球場のもの
球場規模
- 地上7階、地下1階
- 最高高さ:30.65 m
- 敷地面積:50,486 m²(23,848 m²)
- 建築面積:22,845 m²
- 延床面積:39,283 m²(12,640 m²)
- スタンド勾配:1階8.9~18.6度(20.0~30.0度)、2階29.5度(35.0度)
フィールドデータ
- 左翼101 m(91,4 m)、中堅122 m(115,8 m)、右翼100 m(91,4 m)
- 外野フェンスの高さ:2,5 m(2,55 m)
- フィールド面積:12,675 m²(12,160 m²)
- プレーの臨場感や迫力を重視し、ファールグラウンド部分を可能な限り縮小したため、全体のフィールド面積は改装後の宮城球場(同:12,800 m²)とほぼ同じく、プロ野球の本拠地の中では小さな部類になる。
- 内・外野とも天然芝(内野:黒土、外野:天然芝)
観客席データ
- 内・外野席寸法:横幅50cm(43cm)、奥行き85cm(内野席75cm、外野席70cm~60cm)
- 内野1階:14,150席(13,859席)
- 内野2階:6,400席(4,925席)
- 外野:9,800席(11,738席)
- 外野1階:6,550席
- 外野2階:3,250席
- 車椅子スペース:コンコース上に300席(内野1塁側:3席、3塁側:3席)
新球場周辺の開発
新球場が建設される貨物ヤード跡地は、全体で11.6haの広大な土地であり、そのうち球場用地として利用されるのは中央部分の約5haである。残る球場を挟んだ東側と西側の未利用地には、プロ野球が開催されない日も賑わいを創出できるよう集客施設が建設される。
2006年9月に行われた球場設計コンペでは、設計者が球場設計案と共に、この未利用地の将来の整備イメージを提出することが認められており(広島市は参考意見として聴取)、最優秀案に選ばれた環境デザイン研究所案では、「鯉をイメージした躍動する屋根」「スポーツミュージアム」「平和広場(イベントステージ)」などが提案された。
2007年11月、正式に広島市は、この未利用地に集客施設を建設・運営する民間事業予定者の募集を行った。募集要項では、「景観的に球場とのバランスが取れていること」「JR列車からの景観に配慮すること」等が条件とされている。計画の策定が円滑に行われるようにするため、民間事業予定者に対してコンセプトやデザインの指導を行うマスターキーアテクトには、新球場設計者である環境デザイン研究所が任命された。
その後、2007年12月中旬までに5つの民間事業体から、アミューズメント施設、フィットネスクラブ、スポーツクラブ、温浴施設、観覧車などの集客施設の他、飲食、物販の商業系施設、併せてマンション、病院などを建設する概要案の応募があり、さらに2008年3月下旬までに、これら概要案を応募した5社のうち、3社から詳細な事業計画案が提出されている(残る2社は失格、または辞退)。選考委員会で審査した後、同年4月下旬には正式に事業予定者を決定する方針である。
なお、これらの集客施設は、資材置き場など工事スペースの関係上、新球場本体が完成に近づく2008年9月以降、順次着工される見通しである。
今後の課題
現状では、交通手段がJR広島駅からの徒歩が主力になると予想されるため、歩いてくる観客を迎え入れる球場西側の大型スロープに加えて、JR広島駅南口からスロープ入口まで(距離約600m)の道路拡幅・整備が2008年春以降に予定されている。しかし途中でのトイレや休憩場所の確保はスペースの関係上難しいとされており、高齢者や障害者といった交通弱者の人達のため、何らかの対応が待たれている。
さらに、新球場に隣接する駐車場は周辺道路事情が考慮された結果、一般車両、大型バス含めて約500台分用意されるが、混乱を避けるため、駐車券は球場入場券とセット販売される予定である。そのため球場駐車場に駐車できない観客は、他の広島市内各所の駐車場を利用する必要がある。現在、広島市とバス会社は、こうした市内各所と新球場を結ぶシャトルバスの運行を協議中である。また、広島駅からの路線バスの増便、最終便の時間の延長も検討されている。
跡地利用
新球場の整備計画に平行して、現在の広島市民球場の跡地利用に対し、広島市は多くの意見を集めている。
この土地は、広島平和記念公園・原爆ドームの平和祈願地区、広島そごう・基町クレドなどの商業地区、中央公園の三つが接する広島の中心地で、現球場の集客人員に匹敵する年間150万人の集客が見込める土地利用とすることとした。ただし都市公園法の制限を受け、またこの場所が国有地であるため、建てられるのは文化施設、スポーツ施設、防災施設などに限定された。
その中で、公園、サッカー専用スタジアムに改修しサンフレッチェ広島のホームスタジアム化する計画、水族館、観覧車などさまざまな計画が挙がったが、世界遺産である原爆ドームに隣接しており、危機遺産への登録を回避するため、大型施設の建設は回避されるようになった。まず2007年4月に「平和祈念堂」「ビオトープ型水族園」「多目的広場を中心とした都市公園」の3案から最優秀案を選ぶことが発表され、その後2007年8月23日に広島市は、「平和祈念堂」「ビオトープ型水族園」の2案を優秀案としたものの最優秀案は「該当なし」とし、各優秀案を提案した事業者に対して、「周辺商業施設や商店街と連携したにぎわい創出などを求める」として計画案の一部修正を要望、2案を軸に跡地利用案を決定したいとしている。
一方で、地元経済界には「優秀案では集客力が不足している」として不満が残っており、2007年8月に広島市中央部商店街振興組合連合会が広島市に対して、「(跡地に)広島市が選考対象とした3案はいずれもふさわしくない」とする自ら実施したアンケート結果を提出した。
2008年2月には広島商工会議所が、球場跡地の一角に位置する自らの建物について移転を具体的に検討する考えを表明。改めて広島市と球場跡地全体の活用策を話し合いたいとしており、広島市側も「いい結果が出るまで少々の時間の調整が必要なら、それも視野に入れたい」と応じる構えではある。
また完成後の新球場使用と並行し、「戦後の広島復興の象徴」として現広島市民球場の保存・活用を希望する声も一部であがっている。
脚注
- ^ 例えば2004年、グレッグ・ラロッカ選手が打撃練習した際、メンバー表の表示画面にボールが直撃、3週間以上そこの部分だけ何も表示されず、例として緒方の表示が「緒_」、または木村拓が「木村_」となっていた(“_”は空白)。
- ^ ドーム球場#アメリカのドーム球場を参照のこと。
- ^ この時発見された汚染土壌は、新球場建設に先行して2006年12月から始まった地下貯溜池工事の過程において除去された。2007年9月以降、さらに広島市が建設地周辺地域の土壌調査を行った結果、69箇所で砒素等が検出された。新球場建設工事と並行して除去作業が行われる予定である。
- ^ 近年建設された球場として、松山坊っちゃんスタジアムの建設費は118億円とされる。一方で90億円に近い予算で球場本体が建設された例として、サンマリンスタジアム宮崎(建設費:89億6400万円)等がある。
- ^ イギリスの建設コンサルタントであるアラップの運動施設部門。ヘルツォーク&ド・ムーロンとの共同でアリアンツ・アレナや北京国家体育場を手がけた実績を持つ。
- ^ 建物外部をETFEの膜で覆い、内側から明かりを灯す(アリアンツ・アレナと同様)ことで「灯篭」をイメージした作品。カープの試合のときには赤、アマチュアの試合のときには白等と光を発する。スタジアムの構造は、RFKスタジアムに範を取り、レンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントンを参考に、球場に賃貸オフィス等、複合施設を組み込んだ。この複合施設の収益を見込むことで、予算を大幅に上回る建設費を回収可能とした。
- ^ コンペ終了後、最優秀案に対しては、一部ファンからビジターチーム応援用の観客席が少ないとの不満の声が広島市に寄せられていた。また同時期に広島市は、球場の使い勝手などについてカープの選手に意見を求めている。
- ^ 90年代以降、アメリカでは未曾有の新球場建設ラッシュとなった。これらの新しく建設された球場の多くがカムデン・ヤーズに倣い、天然芝、狭いファールゾーン、野球専用でプレーが観やすい観客席、レトロ調、左右非対称のグラウンド形状、設計の随所に見られる遊び心等、を特徴としており、こうした様式を総称して、「新古典主義(ネオ・クラシカル)」と呼ぶ。野球場#ボールパーク(ball park)を参照のこと。
- ^ 野球博物館、監督室など余裕の間取りを持ち、新球場との比較の遡上にあげられた松山坊っちゃんスタジアムの延床面積は33,400m²、サンマリンスタジアム宮崎は30,973m²である。新球場はこれらよりも一回り大きい(同:39,283m²)建築物となる。
- ^ グラウンド使用料金の3億8000万円(公式試合の有料入場者数が100万人を超えた場合は、超過人数分の入場料収入の2%~4%が上乗せされる)に、球場内の広告掲示料や店舗設置料などを加えた合計額が5億7900万円となる。
- ^ 五洋建設・増岡組は広島県呉市が発祥の地、加えて増岡組は現市民球場の建設にも携わっており、鴻治組は広島に本社を置く。
- ^ 予定価格5,571,428,571円に対し、応札額5,571,000,000円(いずれも消費税相当額を除く)。
- ^ 中国新聞より[1]。
関連項目
外部リンク
- 広島市民球場(広島市ホームページより)
- 新球場建設の推進(広島市ホームページより)
- 新球場工事アルバム(広島市ホームページより)
- ヤード跡地集客施設等整備の事業予定者の募集(広島市ホームページより)
- 現球場跡地利用 広島市民球場跡地利用検討会議(広島市ホームページより)
- みんなのカープ(中国新聞より)
- カープと市民球場はみんなの宝物
- 広島市民球場のネーミングライツ購入提案について(常石造船カンパニーより)
| 前本拠地: 広島総合球場 1950 - 1957 |
広島東洋カープの本拠地 1957 - 2008 |
次本拠地: 新広島市民球場 2009 - |
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| セ・リーグ | 東京ドーム - 明治神宮野球場 - 横浜スタジアム - ナゴヤドーム - 阪神甲子園球場 - 広島市民球場 |
| パ・リーグ | 札幌ドーム - クリネックススタジアム宮城 - 西武ドーム - 千葉マリンスタジアム - 京セラドーム大阪 - 福岡Yahoo! JAPANドーム |
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2008年4月8日 02:04 版 改訂履歴 Text is available under GNU Free Documentation License. |