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上総国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

令制国一覧 > 東海道 > 上総国

上総国かずさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だったの一つで、東海道にある。現在の千葉県の中南部を占めるが、設置当時は千葉県南部、後の安房国も含んでいた。総州(そうしゅう)とも呼ばれた(特に上総のみを指して南総(なんそう)と呼ばれる事もある)。

延喜式での格は大国、遠国。 常陸国上野国とともに親王国司を務める親王任国であり、平高望良兼菅原孝標がそうであったように国府の実質的長官は上総介であった(天長3年(826年)旧暦9月6日後より)。

なお、国の上下は京よりの経路の遠近により定められるため今日の見地では房総半島南部の上総国の方が下総国より遠く感じられるが、延喜式の定められた当時、武蔵国と下総国の間は小舟しか通れない広大な湿地帯であり、総州へは海路にて赴くものと考えられていたため房総半島南部が上総となった。

目次

沿革

7世紀に総国ふさのくに)の分割によって建てられたとも言われている。元々東海道は、海つ道(海路)であり、房総半島畿内に近い南部の方が上総国、遠い北部が下総国と名づけられた。上総は古くは「かみつふさ」であったが、「かづさ」に訛化し、7世紀末に既に上狭と書かれる例がある。

養老2年(718年)5月2日、南部の平郡、安房郡、朝夷郡、長狭郡を分けて安房国とした。天平13年(741年)12月10日、安房国を併合した。天平宝字元年(757年)に再び安房国を分けた。この時から、長く領域は変わらなかった。

国府・国分寺・一宮など

国府市原市と推定されており、国分寺跡、国分尼寺跡が発掘されているが、国府の遺構はまだ見つかっていない。中世の国府は能満(府中)にあったと考えられている。

国分寺の法燈は市原市惣社の医王山清浄院国分寺(本尊:薬師如来)が伝承する。国分尼寺は未詳である。安国寺富津市亀田の仏光山白智院安国寺(本尊:阿弥陀如来)が法燈を伝承する。利生塔長生郡長柄町長柄山の長柄山眼蔵寺(本尊:釈迦如来)がその法燈を受け継ぐ。

延喜式神名帳には以下の大社1座1社・小社4座4社の計5座5社が記載されている。

一宮は玉前神社、二宮は橘樹神社、三宮は埴生郡の三之宮神社(現 長生郡睦沢町北山田)である。

市原市惣社の戸隠神社が、鎮座地名が「惣社」であることから総社であったと推定されている。市原市八幡の飯香岡八幡宮が「総社八幡」であった。

守護

鎌倉幕府

室町幕府

戦国時代

戦国時代には、上総武田氏を中心に酒井氏土岐氏などが割拠したが、三浦氏系と言われている安房正木氏里見氏に従属しながら北上し、里見氏とともに上総の大半を制した。その後、後北条氏が侵攻して武田・酒井・土岐の諸氏を従属させて里見氏と争ったために激しい争いが続いた。


上総守(天長3年(826年)以前)

上総太守(任国親王)

上総介

関連項目


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2008年4月8日 02:04 版 改訂履歴
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