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三都

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三都(さんと)


三都(さんと)とは、江戸時代に幕府直轄都市であった都市のうち、その規模が極めて大きかった京都江戸大坂を指す。

その人口については時期によって変動はあるものの、江戸は100万、京都は40万、大坂は35万前後で推移したと言われており、江戸時代を通じて三都以外に人口10万人を越えた都市は存在しなかった(4位とされるが6万、唯一の貿易港であった長崎金沢名古屋鹿児島などの有力諸侯の城下町はいずれも5万前後であった)。これは、江戸幕府によって物流の経路がおおよそ固定化され、幕藩体制維持のための全国的な拠点とされた三都とそのうちの1藩の拠点に限定されて領外への経済圏の自由な拡大が制約された城下町や鎖国によって貿易港としての地位は与えられたものの政治的な地位は与えられず貿易分野以外での発展を制約された長崎では、その発展に格差が生じたためと考えられている。

京都は平安京以来の王都であり、応仁の乱によって大打撃を受けたものの、依然として朝廷仏教の有力宗派のうちのいくつかの本山などが設置され、学術・芸術・宗教の面では当時の日本を代表する都市であった。また、内陸部にあるため、海上交通の経路から外れるという制約はあったものの、両替商などの金融業や西陣織京焼に代表される工芸品の生産地として商工業に大きな影響力を与えていた。

江戸は江戸幕府の所在地であり、江戸時代以前より浅草寺品川湊あるいは利根川荒川多摩川に挟まれた港町・宿場町として栄えていたが、徳川家康による都市改造によって大きく成長し、加えて旗本御家人定府政策、諸侯に対する参勤交代政策によって、大勢の武士が常時江戸に居住することとなり、彼らの消費生活を支えるために多くの物資が流れ込んでそれを扱う商工業者の人口も増加した。宝暦年間には「日本第一の土地」とまで称されて、「江戸っ子」と呼ばれる独自の気質を持った町人たちが台頭した。

大坂は貿易港であった難波津石山御坊寺内町豊臣政権の拠点など幾度かその都市の性格を変えながら発展を続けてきた。大坂の陣によって大打撃を受けるものの、江戸幕府はここを西国唯一の物流拠点と位置づけて再建を支援した。その結果、諸侯の蔵屋敷が大坂に集まるようになり、の年貢米・産物を大坂で売却して江戸や領国における政治運営の費用に充てるという構図が形成されるに至った(東国の藩の場合、江戸が用いられるのが通常であったが、その場合でも大坂に蔵屋敷など何らかの拠点を有した藩は少なくない)。このため、「天下の台所」の呼ばれるようになる。また、長崎貿易の交易品の中継地としての役割や淀川を利用した京都への水運の拠点としての役割も大きかった。

三都は慶長年間には三ヶ津(さんかつ)と呼ばれていた(京都は内陸都市で港町ではないが、物流拠点としての意味合いで用いられた)が、江戸の政治的地位の向上に伴い、三都の呼び名も用いられるようになった。特に京都は寛永文化、大坂は元禄文化、江戸は化政文化の中心地として、それぞれの時代や環境に合わせた固有の文化を繁栄させていった。

なお、江戸時代後期の儒学者で江戸や大坂に住んだこともある広瀬旭荘淡窓の弟)は、『九桂草堂随筆』という随筆の中で「京の人は細なり。大坂の人は貪なり。江戸の人は夸なり……是三都人気の異る所以なり」と述べていくつか事例を挙げながら三都の比較を試みている。以下はその概要である

  • 京(京都)
    • 京都の人は矜気が多く、土地を尊ぶ。彼らは「江戸大坂といえども皆田舎である、すむに都に如くはなし(及ぶものはない)」と考えている。
    • だが、京都を見なければ我国(日本)が「百王一統(万世一系)」で万国(他国)よりも尊いことを理解できないであろう。
  • 大坂
    • 大坂の人は殺気が多く、富を尊ぶ。彼らは「公卿は官禄は高くても貧しく、我輩の商賈(大坂商人)に手を下くる(へつらう)。世の中に富より尊いものがあろうか」と考えている。
    • だが、大坂を見なければ我邦(日本)が「産物多く、船楫便利」で万国(他国)よりも富みたることを理解できないであろう。
  • 江戸
    • 江戸の人は客気が多く、官職を尊ぶ。彼らは「諸侯でさえも貧しい(財政難で多額の負債を抱えた)時節である。貧しいは愧ることではなく、実を置いても立身する(名声を得る)ほうがいい」と考えている。
    • だが、江戸を見なければ我邦(日本)の「人口衆く(多く)、諸侯輻湊(集中)」して万国(他国)よりも繁華なることを理解できないであろう。

と、述べて三都それぞれに違うものの、日本が誇るべき都市であると結論付けている。

明治以後も三府が設置され、市制成立後も暫くは特例が敷かれるなど、長きに渡って重要視されていくこととなる。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2008年4月8日 02:04 版 改訂履歴
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