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マリリン・モンロー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

マリリン・モンロー
Marilyn Monroe
image:Image:Gentlemen Prefer Blondes Movie Trailer Screenshot (35).jpg
マリリン・モンロー
紳士は金髪がお好き』(1953年)の一場面
本名 ノーマ・ジーン・モーテンセン
Norma Jeane Mortensen
別名 ノーマ・ジーン・ベイカー
Norma Jeane Baker
生年月日 1926年6月1日
没年月日 1962年8月5日(36歳没)
出生地 image:Image:US flag 48 stars.svgアメリカ合衆国
カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンル 女優
活動期間 1947年-1962年
配偶者 ジム・ドハティ
ジョー・ディマジオ
アーサー・ミラー
主な作品
紳士は金髪がお好きGentleman Prefer Blondes
七年目の浮気The Seven Year Itch
バス停留所Bus Stop
荒馬と女The Misfits
受賞
ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)
☆1959 『お熱いのがお好き』Some Like It Hot

マリリン・モンロー(Marilyn Monroe, 1926年6月1日 - 1962年8月5日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の女優。本名ノーマ・ジーン・モーテンセン(Norma Jeane Mortensen)、その後改名してノーマ・ジーン・ベイカー(Norma Jeane Baker)。1950年代中盤から現在に至るまで「アメリカのセックスシンボル」と称される。モンローという芸名は彼女の母親の姓である。

身長166.4cm 体重53.5kg B94 W61 H86、トレードマークは、真っ赤に塗られた唇、口元のホクロ、モンロー・ウォークと呼ばれた独特な歩き方。フェラガモに作らせたのサイズは、24.5cm。ノルウェー人の血を引いているといわれるが、本当の髪の色はブロンドではなく褐色(ブルネット)であった。

目次

経歴

生い立ち

ノーマは片親家庭に生まれた。アメリカ合衆国には戸籍がないので、出産直後に医者が書く出生証明書が法的な意味をもつことになっている。彼女の出生証明書には、父:モーテンセン、氏名:ノーマ・ジーン・モーテンセンと記載されていることから、彼女の本名はノーマ・ジーン・モーテンセンであることに異論はない。

しかし本当の父がモーテンセンであるかどうかは疑わしい。彼女の母グラディス・モンローは「あなたのお父さんはベイカーよ」とノーマに告げていたとされる。ノーマ自身もそう信じていたためか、女優になってから後年、「本名は?」と質問された際には「ノーマ・ジーン・ベイカーです」と答えている。

ノーマという本名の由来は、母グラディスが、当時好きだった女優ノーマ・タルマッジからとったとされる。母グラディスは、「モンロー宣言」で知られるジェームズ・モンロー大統領が先祖であると周囲にもらしていたが、娘のモンロー自身は一笑に付したとされる。

日本語訳されている評伝のなかには、モンローは孤児だったと書いているが、母親がいたのだから日本語では孤児と呼ぶことは出来ない。これは彼女が孤児院(orphanage)や養子として育てられたために受けた誤解である。モンローには異父姉妹の姉が居る。姉のことは後年、女優になってからも気にかけていたという。その姉はモンローの葬儀に参列している。

モンローの映画を手がけた20世紀フォックスはモンローのプロフィールで、年齢を2歳さばを読んで発表していた。そのため映画解説者の淀川長治も、彼女が34歳で亡くなったと、TVの『日曜洋画劇場』の解説で言ったことがある。

image:Image:MarilynMonroe-YANK1945.jpg
19歳の頃に雑誌『YANK』に掲載されたもの

ノーマの母親は精神病を患っていた。グレース・マッキー(後Goddard)が、彼女の保護者になった。マッキーが1935年に結婚した後で、ノーマはロサンゼルス孤児院へ、その後伝えられるところでは性的虐待及びネグレクトで支配された養家へ連続して送られ、その事に起因してか、吃音を患うようになってしまった。当時の大統領の政策で、里親にはいくらかの補助金が支給されたため、お金目当てで子供を引き取る家もあったとされ、ノーマもいくつもの家をたらい回しにされたり、大事に扱われなかったりした。

16歳で、母の家の近所に住むジム・ドハティと最初の結婚をする。その後、スカウトされてモデルとして活動し始める。彼女の夫はモデル業に理解を示さなかったため、結婚から4年で離婚。

当時所属していたモデル会社の名は、「ブルーブック・モデルズ・エイジェンシー」。ブルーブックとは、いまでいうアダルト本のことであり、モンローがヌードモデルをしていたことも頷ける話である。

1947年に20世紀フォックスの『嵐の園』という映画に端役でデビューするが、あまりぱっとせずに契約を切られてしまう。しかし女優への夢を諦めきれなかった彼女はコロムビア映画に移籍、『コーラスのレディたち』で準主役となる。しかしコロムビア映画とはその映画一本のみで終わってしまう。その後は再びヌードモデルなどをしながら演技の勉強をし、エージェント(交渉代理業者)を探す日々が始まる。

トップスターに

image:Image:Joe DiMaggio, Marilyn Monroe and Tstsuzo Inumaru.jpg
帝国ホテルに滞在中のジョー・ディマジオ(左)とマリリン・モンローを案内する犬丸徹三(後方)
image:Image:Gentlemen Prefer Blondes Movie Trailer Screenshot (16).jpg
『紳士は金髪がお好き』の一場面
image:Image:Marilyn Monroe.jpg
米軍の慰問に訪れたマリリン(1954年2月17日)

1951年にエージェントのジョニー・ハイドの尽力で『アスファルト・ジャングル』、『イヴの総て』に出演、注目される。以後、数本の映画に脇役で出、1952年の『ノックは無用』で初主演。1953年ナイアガラ』での腰を振って歩く仕草(モンロー・ウォーク)で世の男性の注目を集める。続く『紳士は金髪がお好き』、『百万長者と結婚する方法』や『七年目の浮気』が大ヒットして一躍トップスターとなった。

1954年2月1日に元野球選手ジョー・ディマジオと結婚。読売ジャイアンツの招きもあり、新婚旅行を兼ねて日本を訪れたが、結婚生活は9か月しか続かなかった。

野球の仕事を兼ねていたディマジオは、滞在中忙しく外へ出かけることが多かった。野球に興味のなかったモンローは一人ホテル(旧帝国ホテル)で待つ日々が続いた。そんな折、朝鮮戦争で駐留していた在韓米軍を慰問してほしいという依頼が舞い込む。暇を持て余していたモンローには断る理由がなかった。行くなと反対するディマジオと喧嘩するようにして韓国へ向かった。彼女は戦車に乗り、多くの荒くれ兵士たちを前にして歌い、自分が一番光れる場所で光り輝いた。だが、韓国から帰ってきたモンローは、風邪を引いてしまう。治療のため呼ばれたのが、指圧の心の故浪越徳治郎であった。彼は全裸のモンローに指圧を施した。

その後、セックスシンボルを脱したかった彼女は、ニューヨークに移りリー・ストラスバーグが主催するアクターズ・スタジオで演技の指導を受けている。マーロン・ブランドと『欲望という名の電車』を演じ好評を博したことは彼女に自信を取り戻させた。1955年ディマジオと離婚。

1956年には劇作家のアーサー・ミラーと結婚するが、1957年頃から不安定な状態が続き、睡眠薬を飲み過ぎたりして、精神病院に入ったりもした。アンナ・フロイトジークムント・フロイトの娘)には境界性人格障害と診断されたが、正確なところは分からない。

1961年アーサー・ミラーと離婚。この頃、ジョン・F・ケネディと交際していたと言われている。同年に封切られた映画『荒馬と女』の評判が悪く、また共演のクラーク・ゲイブルが撮影終了後に亡くなったこともあって不安定になり再び精神病院に入院。この時、よりを戻した(2番目の)元夫ディマジオが彼女を支えた。

1962年、映画『女房は生きていた』の主演になるが、たびたび撮影をすっぽかすため制作はほとんど進まなかった。5月(亡くなる3か月前)には、マディソン・スクウェア・ガーデンで催されたジョン・F・ケネディ大統領の45歳の誕生日パーティー(司会は俳優ピーター・ローフォード(ケネディの妹の夫))で『ハッピーバースデートゥーユー』を歌い、「いつ死んでも悔いはない」とケネディに言わしめた(事実、翌年凶弾に倒れる)。『女房は生きていた』の主役は結局降ろされた(のちにドリス・デイ主演で公開)。しかし、数年前にFOXニュースが20世紀フォックスの倉庫から発見した資料によると、FOX首脳部との会談で、そりの合わなかった監督を降板させ、モンローを復帰させる契約が交わされていた事が分かった。さらに、「何という行き方!」というミュージカル大作への出演も決まっており、モンローが映画会社から見捨てられ、失意の中で死んでいったという仮説は成立しなくなることが分かった。

死と波紋

1962年8月に36歳で死去。死の直後、マスコミでは死因は睡眠薬の大量服用による急性バルビツール中毒で、自殺の模様と大々的に報道され、世界に多大な衝撃・悲嘆が駆け巡った。ただのドラッグ・オーバードーズであるとの声もある[要出典]

しかし1980年前後以降は自殺説は影を潜め、何者かによる謀殺説が根強く叫ばれ続けている(謀殺説はモンローの死後間もない時期から存在していた)。現場からは自殺に使うはずのコップは発見されておらず、また彼女が遺体で発見されたとき、手には受話器が握られていたものの、電話局からは通話記録はなく、部屋からは彼女の日記(赤い手帳)が消えていた。

急性バルビツール中毒による体の不調を受けて救急車を自ら呼ぶために受話器を取ったものの、ダイヤルする前にこと切れたという説の他に、仮に謀殺だとすると、電話の通話記録の改ざん・隠蔽を行うことができる政治力の持ち主が関わっていたとする主張がある[要出典]

なお、ジョン・F・ケネディ大統領と不倫関係にあったことが死後複数の証言から暴露された上、お互いを紹介したのがマフィアの大ボスに関係しているフランク・シナトラであったと言われていることが、この謀殺説を後押ししている。また、弟であり当時の司法長官だったロバート・F・ケネディとも不倫関係にあったと噂されていて、常に会話の内容をメモしていた赤い手帳が表に出るのを避けたという話もある。

モンローを司法解剖した監察医は、トーマス野口こと野口常富である。よく日系2世と間違われるが純粋の日本人である。またモンローに戒名をつけた人がいる。キックボクシングの解説でも知られた寺内大吉和尚。モンロー13回忌には墓前でお経をあげている。

その墓所は故郷ロサンゼルスウエストウッド・メモリアルパークにある。彼女の死後、元夫ディマジオの計らいで、定期的に赤いバラ(品種:アメリカン・ビューティー)が供えられていた。ディマジオの亡き後は、ファンクラブなどのボランティアの手で続けられていて、今もバラが絶えることはない。

主な出演作品

  • 1947年:『嵐の園』でスクリーンデビュー。『Dangerous Years』
  • 1948年:『Ladies of the Chorus』
  • 1949年:『Love Happy』
  • 1950年:『彼女は二挺拳銃(A Ticket to Tomahawk)』『アスファルト・ジャングル(The Asphalt Jungle)』
  • 1950年:『イヴの総て(All about Eve)』
  • 1951年:『ふるさと物語(Home Town Story)』
  • 1952年:『ノックは無用(Don't Bother to Knock)』『モンキー・ビジネス(Monkey Business)』
  • 1953年:『ナイアガラ(Niagara)』『紳士は金髪がお好き(Gentleman Prefer Blondes)』
  • 1953年:『百万長者と結婚する方法(How to Marry a Millionaire)』
  • 1954年:『ショウほど素敵な商売はない(There's No Business Like Show Business)』
  • 1954年:『帰らざる河(River of No Return)』
  • 1955年:『七年目の浮気(The Seven Year Itch)』
  • 1956年:『バス停留所(Bus Stop)』
  • 1957年:『王子と踊子(The Prince and the Showgirl)』
  • 1959年:『お熱いのがお好き(Some Like It Hot)』 - ゴールデングローブ賞女優賞(コメディ/ミュージカル部門)受賞
  • 1960年:『恋をしましょう(Let's Make Love)』
  • 1961年:『荒馬と女(The Misfits)』

その他

セクシーなブロンド美女が現れるとその人物を「マリリン・モンローの再来」という事がある。

マリリン・モンローの再来といわれている人物
  • マドンナ(口元のホクロの位置が同じだった為によく言われていた)
  • アンナ・ニコル・スミス(マリリン・モンローの人生そのものに憧れており「マリリン・モンローの様な死に方をしたい。」と発言していた。皮肉にもマリリン同様に謎多き死に方をしており、その通りとなった。)
  • スカーレット・ヨハンソン
  • エヴァ・ハーツィゴヴァ 
  • パリス・ヒルトン(ただし、自称)
  • 井上和香(マリリン・モンローとスリーサイズが同じであるとして、和製モンローと称されたこともあるが、井上のスリーサイズは上から90-60-90である為、実際は異なる。こう称した小堺一機がマリリン・モンローのスリーサイズを間違えて覚えていたようである。)

外部リンク

関連作品

  • 映画『マリリンとアインシュタイン』(INSIGNIFICANCE、1985、米):監督 ニコラス・ローグ、出演:テレサ・ラッセル、ゲイリー・ビューシイ、トニー・カーティス
  • 映画『ノーマ・ジーンとマリリン』(Norma Jean and Marilyn、1996、米):監督 ティム・フェイウェル、 出演:アシュレー・ジャドミラ・ソルヴィノジョシュ・チャールズ、ピーター・ドブソン
  • ノンフィクション『マリリン・モンローの真実』(アンソニー・サマーズ)

関連事項

参考文献

先代:
なし
プレイメイト
1953年12月
次代:
マージー・ハリソン


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2008年4月8日 02:04 版 改訂履歴
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