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ニッキー・ヘイデン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ニッキー・ヘイデンNicholas "Nicky" Patrick Hayden1981年7月30日 - )は、アメリカ合衆国ケンタッキー州オーエンズボロ出身のモーターサイクルロードレーサー

image:Image:NickyHayden.jpg
2007年マレーシア冬季テストでのヘイデン

2002年AMAスーパーバイク選手権チャンピオン。 2006年ロードレース世界選手権MotoGPクラスチャンピオン。 ニックネームは"Kentucky Kid"など。 アメリカで有名なレーサー一家に生まれた。兄弟のトミー・ヘイデンロジャー・リー・ヘイデンもプロのロードレーサーとして活躍している。


目次

経歴

レースデビューとAMA選手権時代

ヘイデンは3歳でバイクに乗り始め、5歳頃にはすでにレースに出場していたという。7歳の時、AMAグランドナショナルダートトラック選手権のアマチュアクラスで初めてのタイトルを獲得した。 1997年にはAMAホライズンアワード(AMA Horizon Award Dirt Track winner, 最も優れたアマチュアレーサーに贈られる)を受賞している[1]

1998年AMAスーパースポーツ600 ランキング4位 (ヨシムラスズキ
1999年AMAスーパースポーツ600チャンピオン (アメリカンホンダ
2000年AMAスーパーバイク ランキング2位 (アメリカンホンダ)
2001年AMAスーパーバイク ランキング3位 (アメリカンホンダ)
2002年AMAスーパーバイクチャンピオン (アメリカンホンダ)

MotoGP

2003年、ヘイデンはホンダワークス・チームレプソル・ホンダから、ロードレース世界選手権MotoGPクラスに参戦を開始。チームメイトはバレンティーノ・ロッシだった。第13戦パシフィックGPと第15戦オーストラリアGPでそれぞれ3位表彰台を獲得し、年間ランキング5位でデビューシーズンを終える。また、この年の新人王を獲得した。

2004年、第7戦リオGP(ブラジル)、第8戦ドイツGPの2回表彰台(各3位)を獲得するが、チャンピオンシップポイントは前年を下回り年間ランキングは8位となる。

2005年、第8戦アメリカGP(ラグナ・セカ)で、グランプリにおける初ポールポジション獲得と初優勝を果たす。この年ヤマハからホンダのサテライトチームへ移籍したマルコ・メランドリと、最終戦までランキング2位争いを繰り広げた。

2006年はファクトリーチームのエースとして唯一先行型RC211Vを駆り、新型マシンの開発作業を一人で担いながら、シーズン序盤からタイトル争いをリードしていく。第8戦オランダGP、第11戦アメリカGPでの2勝を含めリタイア1回という高完走率で、年間最多表彰台(10回)を記録する。

第16戦ポルトガルGPで、ヘイデンはチームメイト・ダニ・ペドロサの転倒に巻き込まれリタイア。このためチャンピオンシップ残り1戦でバレンティーノ・ロッシにポイントを逆転され、ランキング首位から2位に転落する。しかし、続く最終戦バレンシアGPでロッシが転倒。3位でゴールし5ポイント差で再逆転したヘイデンが、アメリカ人7人目となるロードレース世界選手権最高峰クラスチャンピオンに輝いた。ランキング2位が最終戦で逆転したのは1992年ウェイン・レイニー以来14年ぶり。そして、バレンティーノ・ロッシに次ぐ2人目にして最後の990ccクラス王者となった。

従来使用してきたゼッケン番号「69」を、チャンピオンナンバー「1」にスイッチしてタイトル防衛に挑んだ2007年は、開幕からマシンとタイヤの不調に苦しみ低迷する厳しい一年となった。シーズン中盤以降からは徐々に調子を取り戻し、第9戦オランダGP、第10戦ドイツGP、第12戦チェコGPで表彰台(各3位)、第14戦ポルドガルGPではポールポジション1回を獲得。年間ランキング8位でシーズンを終えた。来季はゼッケン番号「69」で、再びタイトル獲得を目指す。


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エピソード

  • ババ・ショバート(1985年1987年のAMAグランドナショナルチャンピオン、1988年AMAスーパーバイクチャンピオン)、ウィル・デービスランス・アームストロングを個人的なヒーローとして尊敬している。
  • ヘイデンの一家は家族全員が二輪ロードレースの経験者で、父親のアールは20年以上のダートトラックレース経験がある。母親のローズもアメリカのレディースの二輪レースで活躍していた。妹ジェニーは少女時代、ダートトラックレースでアマチュアチャンピオンになったことがある。
  • ヘイデンのゼッケン番号「69」は、父アールがレースで使っていた番号でもある。アール曰く、「“69”は上下を逆にしても数字が変わらずに読める。いつもクラッシュしてひっくり返ってばかりいた自分は、だからこの数を選んだんだ」

戦績

  • 3歳 - モーターサイクルに乗り始める
  • 1985年 - ダートトラックレース開始
  • 1992年 - ロードレース開始(ホンダ・RS125)
  • 1997年 - AMAロードレースデビュー(カワサキ)
  • 1998年 - AMAスーパースポーツ750ランキング4位(スズキ)
    • AMAスーパースポーツ600ランキング4位(スズキ)
  • 1999年 - AMAスーパースポーツ600チャンピオン(ホンダ)
    • AMAスーパーバイクランキング22位(ホンダ)
    • AMAグランドナショナルダートトラック ルーキー・オブ・ザ・イヤー
  • 2000年 - AMAスーパーバイクランキング2位(ホンダ)
    • AMAスーパースポーツ600ランキング4位
  • 2001年 - AMAスーパーバイクランキング3位(ホンダ)
    • AMAスーパースポーツ600ランキング5位
  • 2002年 - AMAスーパーバイクチャンピオン(ホンダ)
  • 2003年 - ロードレース世界選手権MotoGPランキング5位、ルーキー・オブ・ザ・イヤー(レプソル・ホンダ/RC211V
  • 2004年 - ロードレース世界選手権MotoGPランキング8位(レプソル・ホンダ/RC211V)
  • 2005年 - ロードレース世界選手権MotoGPランキング3位(レプソル・ホンダ/RC211V)
  • 2006年 - ロードレース世界選手権MotoGPチャンピオン(レプソル・ホンダ/RC211V)
  • 2007年 - ロードレース世界選手権MotoGPランキング8位(レプソル・ホンダ/RC212V)


参照


関連項目

外部リンク


先代:
バレンティーノ・ロッシ
MotoGPクラス世界チャンピオン
2006
次代:
ケーシー・ストーナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2008年4月8日 02:04 版 改訂履歴
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