アドルフに告ぐ
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概要
1983年1月6日から1985年5月30日まで、週刊文春(文藝春秋)に連載された。手塚治虫が漫画雑誌でない一般週刊誌に連載として漫画を連載したのはこれが初めてである(読切ものとしては1970年、週刊ポストに『時計仕掛けのりんご』を掲載)。
第二次世界大戦前後のドイツにおけるナチス興亡の時代を背景に、「アドルフ」というファーストネームを持つ三人の男達(アドルフ・ヒトラー、アドルフ・カウフマン、アドルフ・カミル)の人生を描いた物語である。三人とは言っているが作品の視点は主にカウフマンとカミルであり、ヒトラーは二人のドラマからやや離れて描かれているにとどまっている。これらに日本人の峠草平が狂言回しとして加わり、ストーリーが展開する。この物語は“「ヒットラーがユダヤ人」の血をひく”という、通説では否定されている設定で語られている。ベルリンオリンピックやゾルゲ事件、日本やドイツの敗戦、イスラエルの建国など、登場人物たちは様々な歴史的事件に関わり、それによって人生が左右されていく。手塚作品の中でも特に綿密にストーリーを練りこまれた作品である。
少年時代の仲の良い友人同士の関係から青年期にかけて、カウフマンとカミルがそれぞれナチスドイツと日本の社会の中に融け込み、それぞれの自我や思想、背景を持ち、やがて理解し合えない関係となる。緻密に再現された当時の社会背景や、手塚らしい高度で多彩な人間観察力をフルに使った描写は見事であり、それぞれの人間がナチスドイツ、日本社会、在日日本社会、特高警察、日本軍などの背景や組織の中で生きている姿が、ごく自然に表現されている。手塚作品の中でも最高傑作のひとつという評価もある。
本作でも手塚のスターシステムは健在で、おなじみの名キャラクターたちが登場する。ことに、手塚漫画の二大悪役スターであるアセチレン・ランプとハム・エッグが最後に大役を演じており、往年のファンを喜ばせた。
1986年(昭和61年)度、第10回講談社漫画賞一般部門受賞。
あらすじ
注意:以降の記述で物語に関する核心部分が明かされています。
1983年、イスラエル。一人の日本人男性がひっそりと墓地の一角に佇み、ある墓の前に花を供えた。彼の名は峠草平。40年前、3人の「アドルフ」に出会い、そしてその数奇な運命に立ち会うことになった彼は、全ての終わりを見届けた今、その記録を一冊の本として綴ろうとしていた。
時は、1936年8月、ベルリンオリンピックに湧くドイツへと、遡る……。 協合通信の特派員であった峠草平は、ベルリンオリンピックの取材にドイツに派遣されていた。8月5日、取材中にベルリン留学中の弟、勲から1本の電話が入る。勲はおどおどした調子で草平に、「重大な話があるから明後日の夕方8時に必ず自分の下宿に来てほしい」と頼んだ。峠は個人的な話だろうと思い、弟の深刻さを理解しないまま電話を切った。
8月7日、勲との約束の日がやって来た。草平の取材しているオリンピック競技は棒高跳びから始まりアメリカ勢3人と日本2人のしのぎをけずる争いとなった。その後雨が降り出し競技は中断。決勝は日没後にもつれ込んだ。そのため草平は弟との約束の時間である8時に間に合わなかった。
ようやく競技が終わり、草平は急ぎ足でタクシーに乗り込み、勲の住んでいるベルリン大学の西通りへ向かった……。
主な登場人物
- 峠草平(とうげ そうへい)
- この物語の狂言回し。協合通信のドイツ特派記者。W大陸上の元花形選手。ドイツに留学している弟がいる。
- ベルリンオリンピックに湧くドイツで取材中、弟から掛かってきた一本の電話が彼の人生を大きく変える事になる。
- なお本作品の狂言回し役ではあるものの、彼自身は3人のアドルフ全員と物語途中で別離しており、最期を看取ってはいない。茨城県土浦市出身。
- アドルフ・カウフマン
- 熱心なナチス党党員のドイツ人外交官を父に、日本人の由季江を母にもつハーフの少年。
- 神戸に住み、ユダヤ人のアドルフ・カミルとも仲良く暮らしていた。しかし、父の強い要望でナチスの幹部養成所AHS(アドルフ・ヒトラー・シューレ)へと送られることとなり、必死の抵抗もむなしくドイツ本国へと送られてしまう。
- カミルとの強い友情と、再会を胸に日本を発った少年アドルフは、ドイツでの教育で徐々にナチズムに染まっていき、優秀生徒として表彰される機会にヒトラーと初めて出会い、感銘を受ける。後に列車内で中国人のスパイを捕まえる手柄を立て、またもヒトラーと面会し表彰される。そのときヒトラーから秘書になるように命じられ、筋金入りのナチス幹部になっていく。
- 終戦間際にヒトラーの出生についての秘密文書を求めてUボートで来日、親友カミルと、片思いであったエリザと再会するも、エリザとカミルが婚約したことを知り、エリザを強姦した挙句、カミルと絶交する。ナチスの思想に染まった彼を見た母親の由季江は、親子の縁を切るに至る。
- キャラクターの基本設定は、手塚治虫漫画のスター・システムにおけるロック(通常の出演では髪色は黒髪だが、本作では金髪)と思われる。
- アドルフ・カミル
- ドイツから神戸へと亡命したユダヤ人。実家はパン屋「ブルーメン」である。長い日本暮らしのため、流暢な関西弁を話すことができる。自分の信念を貫き、何事も簡単には諦めない、逞しい精神の持ち主。
- ハーフであることが原因でいじめられていたアドルフ・カウフマンをかばったことから、カウフマンと親交を深める。その後ドイツに渡ったカウフマンとは戦時下の通信規制により疎遠になるが、カウフマンの手配で日本に亡命したエリザ・ゲルトハイマーを預かり、共に暮らすうちに恋仲となる。大戦末期、来日したカウフマンが嫉妬に狂ってエリザを強姦したことを知り、彼と絶交する。
- 小城典子(おぎ のりこ)
- アドルフ・カミルや草平の弟の恩師である小学校教師。同人誌で反戦詩を発表したためにアカの疑いをかけられて特高にマークされ、彼らから過酷な拷問を受けていた。草平の弟、勲から送られた文書を預かり、それによって草平と共にナチスの文書を巡る陰謀に巻き込まれるようになる。
- 峠勲(とうげ いさお)
- 峠草平の弟。ベルリン大学に留学している。共産主義の学生活動を行っていたが、付き合っていたローザ・ランプ(ランプの娘)によってゲシュタポに密告されて殺され、遺体も社会から抹消された。しかし死ぬ前に、入手していたヒトラー出生の秘密についての文書を残した。
- 赤羽(あかばね)
- 特別高等警察の鬼刑事。峠草平がもつ重要書類を奪うべくあらゆる卑劣な手段を駆使し、峠を苦しめる。
- 峠ともみ合ったときに頭を負傷し脳に障害を負ったため、免職され精神病院に入院したが、脱走。
- キャラクターの基本設定は、手塚治虫漫画のスター・システムにおけるアセチレン・ランプと双璧を成す悪役キャラのハム・エッグである。
- 峠由季江/由季江・カウフマン(とうげ ゆきえ/ユキエ・カウフマン)
- アドルフ・カウフマンの母。夫であるカウフマンと死別した後、ある事で峠と知り合いとなる。後に自宅でドイツ料理店ズッペを始め、ボーイとなった峠と再婚。やがて、ナチスとヒトラーに忠誠を誓って狂気に走った息子と決別する。
- 本多大佐(ほんだ)
- 大阪憲兵隊司令部付大佐。カウフマンとの結婚前から由季江とは顔馴染みであり、恋心を抱いていた。職務に忠実な軍人で、ゾルゲの組織の末端としてスパイ行為を働いていた息子、芳男を自ら射殺している。
- アセチレン・ランプ
- ゲシュタポ極東諜報部長。ヒトラー出生の秘密についての文書を追っている。
- 「氷の心臓を持つ男」との異名を持つ冷酷な男。娘ローザが自殺した原因が峠にあると思っており、その仇討ちのためにも執拗に文書と峠を追う。日本に帰国した峠と例の文書を追って日本までやって来るが、足を負傷し、任務に失敗して帰国する。
- ドイツに帰国後、親衛隊(保安部 (SD))将校となったアドルフ・カウフマンに出会い、峠の抹殺と文書の抹消(焼却)を依頼する。自身は第二次世界大戦末期のベルリン陥落直前までベルリンに残っている。ヒトラーの遺言で遺言執行人、そして次期ナチス党首に指名されたナチス党官房長のマルティン・ボルマンに総統地下壕にいるユダヤ人(アドルフ・ヒトラー)の殺害を命令され、遂行する。その後のランプの動向は本編では触れられていない。
- 手塚マンガの悪役の代表的キャラクターであり、多数の手塚作品に出演している。本作品ではトレードマークとも言うべき頭にロウソクを立てた姿こそ健在だが、滑稽さは封印し、威圧感と使命感に満ちた悪役として登場する。また、峠を殺害しようと襲撃した際、返り討ちに遭って重傷を負い、さらに民家の2階から投げ落とされても気絶せず立ち上がるなど、峠曰く「化け物」の様に頑丈な肉体の持ち主である。
- 名前のランプは本来lampe、ドイツ語読み"ランペ"ではであるが、作中のドイツ人は普通にランプと呼称している。
- 仁川警部(にがわ)
- 刑事。妻は関東大震災の際に濡れ衣を着せられ、暴徒に虐殺されている。そのために「真実」を追い求めて職務に励んでいる。
- 峠を追及した後、彼の言葉に耳を傾けて峠の良き協力者となるが、ランプに額を撃ち抜かれ殉職する。風貌と役回りから映画「野良犬」の志村喬がモデルと思われる。
- 仁川三重子(にがわ みえこ)
- 仁川の娘。峠のことが気になっていたが、本多芳男に一目ぼれする。自分の父親をナチス(ランプ)に殺害されたためドイツを憎んでいる。
- 父の殉職後、峠と同居していたが、好きだった本多芳男が死んだことを知り、峠が目を離した間に家出。太平洋戦争後、小城先生の故郷で峠と再会する。
- ドクトル・リヒャルト・ゾルゲ
- 実在の人物。ソ連情報部第1級スパイだが、ナチス党員のドイツの新聞記者として日本に派遣され、ソ連のためにスパイ活動を行う。コードネームは「ラムゼイ」。共産主義者。
- 本作では、防諜責任者の土肥原大将に目をつけられ、大日本帝国の警察に身柄を拘束される。取り調べの末、自分がスパイであることを自供し、処刑された。
- 本多芳男(ほんだよしお)
- 本多大佐の一人息子。コードネームは「ケンペル」。仁川三重子と恋人関係となる。
- ソ連のために日本軍についてのスパイ行為をしていたが、ゾルゲの逮捕により発覚。本多家の名誉を守るため、父である本多大佐によって殺害される(表向きは自殺)。
- エリザ・ゲルトハイマー
- ドイツ在住のユダヤ人。中国人の血が混じっている。
- アドルフ・カウフマンに一目ぼれされ、ユダヤ人狩りが行われる前に日本へ亡命。神戸で暮らし、アドルフ・カミルと婚約する。しかし、文書抹消のため潜水艦で来日したカウフマンがカミルと彼女の婚約に激怒。婚約の撤回を要求するが拒否される。あきらめきれないカウフマンは彼女を騙し、自分の部屋に連れ込み強姦。そのことがカミルに発覚し、二人の友情が失われる要因になった。
- マルティン・ボルマン
- 実在の人物。ナチス党官房長。ヒトラーの前では忠実な部下を演じていたが、密かに後継者の座を狙っている。
- 本作ではベルリン陥落の際に、ヒトラーが自分ではなく後継者である総統の座をカール・デーニッツに、首相をゲッベルスに指名し、そして自らを彼等より格下のナチス党大臣に指名したことに怒り、ランプにヒトラー処刑を命じる。史実ではその後、部下と共に脱出を図るが失敗し、自決している。
- アドルフ・ヒットラー(アドルフ・ヒトラー)
- 実在の人物。ナチス・ドイツ総統。本作では、ユダヤ人の血が入っているという設定である。物語途中からは精神的な均衡を失っている。史実でも大戦末期から精神衰弱気味になり、1945年4月30日に総統地下壕で妻とともに自殺したとされるが、本作では同日にランプに撃たれて死亡している。
- アドルフ・アイヒマン
- 実在の人物。ナチスによるホロコーストの実行者のひとり。ナチス親衛隊中佐(作品登場時は少佐)で、アドルフ・カウフマンの上官。大戦終結後にバチカンなどの助けを受けてアルゼンチンに逃亡したが、モサドに捉えられイスラエルで処刑される。
留意すべき点
本作品は「ヒトラーはユダヤ人である」という説をもとにして創作されたものであるが、この説は現在ではほぼ否定されている。それは手塚が連載を始めるかなり前に、プレラドヴィクやクライン、マーザーという歴史学者の綿密な調査によって世に知られていたことであった。
ヒトラーの祖父がユダヤ人ではないかという「噂」は戦後しばらく存在した。それはヒトラーの側近だったハンス・フランクがニュルンベルク裁判で絞首刑になる前、『死に直面して』という本を著し、その中で、「ヒトラーの祖母がグラーツのユダヤ人の家で家政婦をしていた時に生んだ私生児が、ヒトラーの父であった」等という記述から発したものである。しかし結局そのような事実はなかったことが判明している。
戦後、グラーツ大学教授のプレラドヴィクの調査で、グラーツは1856年までユダヤ人が居住することを禁止されていた土地だった事が明らかになっているし、クラインは、ヒトラーの祖父とされているフランケンベルガーなる人物は、その人物の住所とされているグラーツ市の住民リストには載っていなかったことも判明させたのである。詳しくはアドルフ・ヒトラー#ヒトラー=ユダヤ人説の項を参照。
コミックス
1992年に文庫本(全5巻)で再発されて150万部を売り上げた。これが漫画文庫本の嚆矢となった。
- 『アドルフに告ぐ(文藝春秋)全4巻』巻
- 文春コミックス『アドルフに告ぐ(文藝春秋)全5巻』
- 文春文庫ビジュアル版『アドルフに告ぐ(文藝春秋)全5巻』
- My First WIDE『アドルフに告ぐ(小学館)上、下巻』
- 手塚治虫漫画全集『アドルフに告ぐ(講談社)全5巻』
ラジオドラマ
1993年にTBSラジオにて放送。出演俳優は風間杜夫、二木てるみ、柄本明、佐藤慶など。のちにドラマCDとしても発売された。
関連項目
外部リンク
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2008年4月8日 02:04 版 改訂履歴 Text is available under GNU Free Documentation License. |